燃やさざるを得ない「ごみ」
ごみの分別にかかわることである。これは、どこに分別すればいいのか?と、迷うものにたびたび出会う。乾燥剤、イヤホンのコード、太い輪ゴム、樹脂製のペンキの刷毛、ホーローのカップ、、、分別収集がはじまったころは、『魚からダイオキシン』なんて映画の封切りの前後だったので、こんなふうに考えていた。「燃やしてはいけないゴミ」&「燃やしていいゴミ」ここでいう「燃やしてはいけないゴミ」は、「埋め立てるゴミ」だったかもしれない。そのうちに気が付いたのは、実は、こんななのかと。「再利用できるゴミ」&「燃やしていけないゴミ」&「燃やしていいゴミ」でも、最近は、こんな気がする。「再利用できるゴミ」&「燃やしていいのも、いけないのも、一緒くた」で、こっそりと、「再利用できるゴミ」が再利用されずに、「海外へ送るゴミ」にばけていたりもしたらしい。台湾のお土産のお菓子の包装には、リサイクルマークがいくつも描かれていて、マークのとなりに「8」とあった。どれだけ細かい分類をしているのだろう。限られた島で暮らす人々は、より真剣に、国土と資源と将来のことを考えているのだと感じた。で、実は「燃やしていいゴミ」なんてないのだ。トランプくんが理解できないだけで、CO2は増えないほうがいいのは間違いない。燃やすときにはよく考えて、「燃やすしかないゴミ」「燃やさざるをえないゴミ」を仕分けなければ。循環型ってことは、「燃やさずに済むゴミ」ばかりで組み立つ社会のことだと、最近になって、思い当りました。そして、その目標に向けて、自分たちよりも進んでいる人たちがいることも。