東電の裁判について
震災による被害を予見できたかどうか、について争点となったのは、ちょっと違う気がする。有効な対策が可能かどうか、というのも、ちょっと。「大きな津波の可能性」が指摘された時点で、すぐに調査・検討をはじめたかどうか、の問題じゃないかな。ハリウッド映画によくあるパターンだ。変わり者の博士が、なんらかの危機を予言するのに、責任ある立場の人々は相手にしない。信じがたい予言に予算を請求するなんてことは、現場の人々からボトムアップすることは難しいだろう。無駄かもしれない調査費を、上司が認めるはずがない。無駄を覚悟の英断を行うのは、上層部の職責だ。『日本沈没』の総理大臣の名前も、演じた俳優さんも思い出せないが、トップダウンで、いちはやく危機の発見につとめていた。「原発」の暴力を軽くみていたから、大きな津波の可能性の大小を考えてしまったのだろう。小名浜の原発が被害を避けられたのだから、津波をさける方策は持っていたはずだ。敷地選択の問題だったのかもしれない。予備電源の喪失が致命傷になったように報道されているが、予備電源は地下にあったという。だったら、10Mの津波でなくても、5メートルの津波でも、やられていたんじゃないのかなぁ?昨今の大型台風の河川決壊くらいでもやばかったのかもしれない。と、不安になる。地下に予備電源のある発電所のすべてに、今頃は「予備の予備電源」が、それなりの高い位置に設置済みののだろうか。もう、8年にもなるんだから。で、今回、無罪になったひとたちが、3.11以降に、「予備の予備電源」の設置を指示または決定していたのかどうか、そこも気になるのです。起こしてしまった責任もありますが、事後処理にあたる責任も重いのですから。