香港のデモについて 休戦のすすめ
外部からの軍事的干渉は、「暴力行為の鎮圧」を理由にしてやってくる。と、自分のとぼしい記憶と知識が叫んでいる。外圧は、民衆に「暴徒」の汚名をかぶせることで、自らは「正義の味方」の名を騙る。「民衆」「デモ隊」は、つねに冷静で、敵の誘導に乗ってはならない。いまは、亡くなった人々の喪にふくし、しばらくの休戦が必要だと思う。「暴徒」ではないことを証明することで、広い世界からの信用を得るべきときだ。それでも外圧は、挑発し策謀をめぐらせるだろう。冷静で、議論に応じられる姿勢を守り、国際世論に訴える資格を有することを示すためにも、今は「休戦」の時期だと思う。「デモ」「座り込み」「発言」こそが、抗議のルールのなかにある。議をもって抗すること。疲弊する警察も、若年者を巻き込む民衆も、夏のデモには感じられなかった狂気をはらんできたように、国境の外にいる自分には、感じられる。どんなにデモをしても、窓ガラス1枚も割られなかった夏の日。正義のあるところは、明白だった。あのころの姿こそが、人間のあるべき戦いだと思う。今は「休戦」を願う。