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カテゴリ:あさ・がおの哲則 「手探りの人生訓」
NO MUSIC NO LIFE
うれしいなぁ。自分の知っている英単語だけでできてるフレーズって。 単語力が中坊以下のあさがおですから。 ♪ゆー あー まぃ さーんしゃーぃん♪ の歌いらいの、うれしい気持ち。 「音楽のない人生なんて・・・」 と、違訳してみた。 いくつか、対案もあったりする。 「音楽のあるところ、生命あり」 「音楽が、あってこその我が人生」 「命あっての 音楽」 「音楽が先か、生命が先か」 「笛ふかなければ、踊らない」 でも、直訳してみると、こんなになる。。 「音楽もないし、生活も成り立たないし、」 ちょっと、応用しても、、、 「音楽もない、メシも喰えない、、、 おら、こんな村ーやだー こんなむらーやだー」 「完璧な静寂、生きとし生けるものの、なんの気配もない」 「不毛の大地には、無機質な風の音しかなかった」 さて、 懸命な読者の諸君は、すでにお気づきだろうか。 「あさがお は 音楽イノチ だったっけー? まんがのまちがいー?」 たしかに、そうである。 でも、同じ娯楽ジャンルなのに、 「漫画」に置き換えると、変なフレーズになってしまう。 「漫画のあるところ 生命あり」? それほど、「音楽は原初から人間のそばにあった」という仮説を、 あさがおが信じているということだろう。 さて、ここは、場合わけの問題かもしれない。 1)音楽は「ある」、人生も「ある」 2)音楽は「ある」、人生は「ない」 3)音楽は「ない」、人生は「ある」 4)音楽も「ない」、人生も「ない」 なんだけど、1)と4)って、結局おなじ意味になるような気がする。 で、 「われ 思うゆえに われ あり」ってのは、 「われ 思うチカラある ゆえに われあり」ってことだと思うんだ。 ひっくり返すと、 「われに 思うチカラなし ゆえに われななし」 でも、「思っているだけじゃ ダメだよ。言葉にしなけりゃ伝わらないよ。」 という仮説もあるわけで、だとすると 「われ 語るゆえに われ 在り」くらいのほうが、安全側かもしれない。 さらに、聴く人がいなくてもいいの、というツッコミもあるかもしれないけど、 文字にして残しておけば、いつかは、後世の人が読むかもしれない。 ので、 「われ 書くゆえに われ 在り」というのもあるかもしれない。 こういうタイトルのブログがあっても、いいかもしれない。 ♪テツ テツ テツ テツ てつ がぁぁくー ♪ふぃろ ふぃろ ふぃろ ふぃろ フィロ ソ フィー ♪ なぁーぜーか テツ しましたぁー ♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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