2016年3月29日 加筆 2017年1月7日 加筆
保育園問題に目をうばわれているが、
「保育園がなくても専業主婦が家にいる」良き時代を思い出してほしい。
共働きが標準になったのは、そんなに昔のことではない。
梗概
1)労働の単位として「人工(にんく)」がある。
一人の人間が8時間(休憩を含む)働くと1人工(にんく)である。
二人の大工さんが8時間分ずつ、計16時間の仕事は、2人工(にんく)と数える。
一人の大工さんが2日と半日を働くと2.5人工(にんく)となる。
2)さて、土曜日が半ドンであったころは、一人あたり毎週5.5人工(にんく)を働いていた。
週休2日が定着しつつある現在では、毎週5人工(にんく)を働く人が多い。
3)労働を提供する単位を、個人(週当たり)ではなく、家庭(週当たり)として考えてみる。
かつては、1つの会社員家庭から1人の労働力が提供されることがほとんどであった。通常の家庭では父が、母子家庭にあっては母が、労働することが通例であった。
「商家や農家へ嫁ぐと働かないといけないが、公務員や会社員と結婚すると専業主婦となり、労働しなくていい」 昭和30年代にはそういう風潮があった。カギッコという状況は珍しいことで、保育園なども数はすくなかった。
4)昭和30年代は、都市における会社員の1家庭は、週に5.5人工の労働を提供することで、生活が成り立っていたと考えられる。
現在は、都市における多くの家庭は共働きで、週に10人工の労働を提供することで、生活が成り立っている。
5)夫の人工と、妻の人工の合算が、週5人工となる社会が、昭和30年代とくらべて「いくらか豊かな社会」である。
そして、毎週10人工を供出しないといてないいまの社会は「貧しい社会」である。
「いくらか豊かな社会」になれば、待機児童も減ることであろう。介護施設だって。
昭和30年代を知る人間が、語り継がねばならないことである。
というようなことを、雇用機会均等法について疑問を持っている近所のおば様(もと教員)に話したところ、拍手を頂いた。
が、隣に座っていた知人からは、「居酒屋でする話かぁー」と、不評をかった。
「 もっと働きたい人にはより多く、働きたくない人にはそれなりに 」の選択の自由が必要なのに。
多用性と均質。 自由と均等。 ちょっと大きなテーマの大風呂敷。
来年が、多様で自由な、よい年でありますように。
あさがおはひとり、都会の雑踏のなかで、サンタさんに祈った。
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