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思春期にガンダムの1stを経験した世代である。
が、あの最終回は、よく、憶えていなかった。 というか、よく理解できていなかった。 数年前にTVKで、劇場版のテレビ放映をみて、 はたと、はたはたと、はたはたはたと、 いろいろと気づいたものである。 1]通過儀礼---ガンダムがこわれることの解放感。 ・・なりゆきで戦争に参加しているアムロにとって、ガンダムという機体がこわれることは、戦争の終結と開放だったんだなぁ。。。 機体に強い愛着を感じる様子もなく、アムロは冷静に脱出していく。 最終回で機体が失われるアニメはほかにもあったけど、これほど、機体に思い入れの少ないロボットまんがは、あんまりないよなぁ。 2]ひきこもらないこと。 ・・でもって、単身で戦いをつづけていたアムロは、カツレツキッカの「声」に導かれて、長い長い迷路のような通路を、脱出してゆく。。。 で、やっとのことで、再会できた仲間たち。あの場面の安堵感。 すごいストーリーだなぁ。 アムロにとって「人間関係の距離感」てやつは、一番の苦手ジャンルだったはずなのに、、、 いつの間にかワダカマリがきえていたのね。 もう、ひきこもることは、ないだろうなぁ。 なんてことを、考えてしまうというあたりが、年をとった証拠かも。 のめり込んでないわけね。 で、 「シード」「ですてにー」とか「だぶろー」とか、 最終回がもりあがってないのよね。。 アムロは、「戦いを終えた」わけだけれど、 彼らは、「戦いに勝った」だけなんだもの・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年04月04日 20時22分10秒
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