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カテゴリ: 怒りの大河を超えて、政治に笑顔が戻るまで
ここ1か月ほどかけて、自分のなかで「忖度」ということばが、消化・分解・吸収されてきて、自家薬籠の中に、検便ケースよろしく、おさまりかかっている。 「気配り」「気ばたらき」「気のまわしすぎ」「気をつかいすぎ」という意味と、似ているみえるのだが、実は蝶と蛾のような違いがある。 と、自分には思われます。(意見には個人差があります。) 「忖度」は、下心や袖の下などの、「打算的」な後ろ暗さをひそめている。 「気配り」「気ばたらき」には、率先して状況を改善しようとする「前向き」な姿勢を感じるし、違法なことには諫言するであろう気概を感じる。すももの下では、冠をなおさないのも、まさに気配り。 「気のまわしすぎ」「気をつかいすぎ」は、無私なの打算なのか、判然としない。 さらに言うなら、「気配り」「気ばたらき」には、やさしさに裏うちされた人間味を感じる。 「官僚は隷従するしかない立場」とか、「政治家には党議拘束に逆らえない。」とか、人間性をあまりにも簡単に、捨てないでほしい。 そんな官僚や政治家が大勢だというのならば、超コンピューターに支配されるというSF的悪夢は、もう始まってしまっているのも同じ。
ところで、今の政治家さんが壮年のころのベストセラー本に、NHKの鈴木さんが書かれた「気配りのすすめ」という本があったのだけど・・・・。 もとの本は、絶版になってしまったようですね。
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最終更新日
2017年06月14日 23時42分18秒
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