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カテゴリ:あさ・がおの哲則 「手探りの人生訓」
あいかわらず、不信人者の自分です。
とりあえず、 肯定はできないけれど、否定もしていないという言い訳。 信じるまえに、考えてしまう。 ので、否定しているように見えてしまう。 考えてからでないと、信じられないだけなのに。 これは、 グルメレポーターの彦摩呂さんが言ってたことと同じことのようだ。 料理を口に入れてから、すぐに「おいしい表情」を浮かべないと、 見てるひとは疑いをもつ。 「ほんとはおいしくないのに、無理してるのでは?」と。 なので、迷わずに、瞬間的においしい表情をうかべるのがよいと。 さて、 「全知全能」な存在は、「不老不死」「絶対不滅」なのだろうか。 死にたくないと思えば、生き続けることができるだろうし、 死にたいと思えば、きっと、自分の意志で死ぬこともできる。 「全知全能」な存在には、死にたい理由があるはずもない、と信じるのであれば、 不老不死なのだろう。 でも、「退屈」すぎて倦むことがあるかもしれない。 杉下右京氏の「シュレディンガーの猫」の説明から、 こんなことを連想した。 「生きていることを証明できないなら、生きていないのと同じ」 なので「全知全能」の存在は、どこかに実在しているかもしれないが、 自分に語りかけてくれるまでは、頼ってはいけない。 自分は、自分で、救けなければいけない。 あるいは、自分たちで自分たちを守らなければいけない。 というわけで、 神や仏や悪魔や、天国や来世や地獄や煉獄や、 そういった存在については、一括「保留」です。 信じていないわけでも、 信じているわけでもない。 「信じています。」と、即答することはできない。 YESとNOだけで観る人には、 「信じていない。」にしか、見えないだろうけど。 「いっしょに考えませんか?」というのなら、 いろんなアプローチを試みよう。 「信じる人」の立場で、考えてみる。 「疑う人」の立場でも、考えてみる。 「信じたいのに、信じられない人」の立場でも、考えてみる。 「信じたくない人」が、どうしたら信じられるのかを、考えてみる。 なので、最近はお見かけしないけど、 街角で「あなたは神を信じますか。」と、問う人たちには、 この短文を読んでもらおう。 そして、これをもって、回答に代えさせていただきます。 コーチングとは「信じること」 ラグビー日本代表ヘッドコーチ エディー・ジョーンズ (Sports graphic Number books) [ 生島淳 ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年11月10日 22時49分57秒
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