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カテゴリ:あさ・がおの哲則 「手探りの人生訓」
可視化
覆いをとったり、色をつけたり、画像をのこしたり、ピントをあわせたり、見えにくいものを、見えやすくすること。共有化すること。画像補正とか、クローズアップとか、も。 で、「透明化」は? 透明人間は、見えない人間で・・・? 色を無くして見えなくすることではなく、「覆い」を無職透明にして、中身を見やすくすること。 シースルーってことかな。 見えにくくしたり、ぼんやりさせるときのことばは、 「迷彩」「ぼかす」「ひそむ」「溶けこむ」「保護色」「玉虫色」「グレーゾーン」などなど。 「ソフトフォーカス」「紗をかける」は、想像力のまかせて、美しく演出すること。 「画像修正」は、よりよく見せる技。 「画像補正」は、ありのままに見せる技。 ちょっとした、憶え書きです。 境界はあいまいです。 「補正予算」には、演出の気配が濃いし、 「透明化」と言いながら、資料を廃棄したりもします。 かと思えば、ないはずのものが、目に見えなかっただけで、 実はパソコンのなかに残っていたり。 探し物をするときは、目だけではなく、「記憶」も「推測」も使いましょう。 安倍さんが続投し、麻生さんが再任したということは、 あの「見えたか見えないか」のいくつかの論戦が、再開されるのでしょうか。 「見えない化」しなかった自民党の、説明能力に期待します。 この論戦の早期解決のために、どうか「可視化」の方向で、納得させてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年11月27日 02時13分07秒
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