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カテゴリ:あさ・がおの哲則 「手探りの人生訓」
このごろ思うのだが、ひょっとして自分は「偏屈」なのかもしれない。
だとすると、ずーっと昔から「偏屈」だったことになる。 特別な進歩や変化があったようには思えないのだからね。 で、その偏屈は、自分の時間の99%で一貫してきたが、 ほんのちょっとだけ、はずれる時間がある。 のだが、その発生するタイミングが、よくわかっていなかった。 2~3年前の時期に、意地になって新聞を読んでいたらば、 少し、状況が掴めてきた。 新聞のいろんな分野の記事のなかから、気になるものには赤鉛筆で印をつけてみる。 すっとね、映画や本の記事に赤がつくのだけど、ちょっと斜にかまえて読んでいる。 電車や旅行の記事にも赤がつくけど、やっかみが混じってくる。 自然や公園の記事も印っをつけるが、ちょっと対岸の感じがともなう。 「災害ボランティア」の記事には、いつのまにか背筋を正している。 「こども食堂」とか「ボランティアの無料学習塾」とか、そこらへんの記事には、 不覚にも目頭があつくなる。 偏屈の自分でも、気持ちがシャンとするジャンルがある。 宗教、国家、人種を超えて、みんなの気持ちがシャンとするテーマも、あるはず。 たとえば、「利己的な自殺」を肯定する人はいないはず。 そして、「失望に深く沈む人」を見て、楽しいと思う人もいないはず。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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