739640 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

七転八べぃ≒(七転八倒+七転八起)÷2 ≒あさ・がお

七転八べぃ≒(七転八倒+七転八起)÷2 ≒あさ・がお

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

日記/記事の投稿

バックナンバー

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

お気に入りブログ

秋の全国交通安全運動 New! ありんこbatanさん

今度は薬が値上げか… 結女★11さん

Midorikawa Hidenori… key-sanさん

rainbow(レインボー… rainbow3510さん
百二十五年物語 旅ちゃん5882さん
埋もれ火のアンソロ… コックン4592さん
深夜ぶろぐ便 長七7614さん
ポンちゃんの火曜歌… マダムQさん

フリーページ

2019年01月16日
XML
このごろ思うのだが、ひょっとして自分は「偏屈」なのかもしれない。
だとすると、ずーっと昔から「偏屈」だったことになる。
特別な進歩や変化があったようには思えないのだからね。

で、その偏屈は、自分の時間の99%で一貫してきたが、
ほんのちょっとだけ、はずれる時間がある。
のだが、その発生するタイミングが、よくわかっていなかった。

2~3年前の時期に、意地になって新聞を読んでいたらば、
少し、状況が掴めてきた。

新聞のいろんな分野の記事のなかから、気になるものには赤鉛筆で印をつけてみる。
すっとね、映画や本の記事に赤がつくのだけど、ちょっと斜にかまえて読んでいる。
電車や旅行の記事にも赤がつくけど、やっかみが混じってくる。
自然や公園の記事も印っをつけるが、ちょっと対岸の感じがともなう。

「災害ボランティア」の記事には、いつのまにか背筋を正している。
「こども食堂」とか「ボランティアの無料学習塾」とか、そこらへんの記事には、
不覚にも目頭があつくなる。

偏屈の自分でも、気持ちがシャンとするジャンルがある。
宗教、国家、人種を超えて、みんなの気持ちがシャンとするテーマも、あるはず。

たとえば、「利己的な自殺」を肯定する人はいないはず。
そして、「失望に深く沈む人」を見て、楽しいと思う人もいないはず。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2019年01月16日 23時49分27秒
コメント(2) | コメントを書く
[あさ・がおの哲則 「手探りの人生訓」] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X