|
カテゴリ:あさ・がおの哲則 「手探りの人生訓」
「あれ、道路向かいのマンションが4階建てになっている。」
うちの風呂につかっていると、模様ガラスの小窓に、 いつもは2階と3階の窓あかりが映る。 のだが、その日はどういうわけだか、4階まで灯りがついていた。 YKKap フレミングJ ダブルガラスルーバー窓 まさかね。 だれかが、屋上で懐中電灯でも使っているのかな。 でも、電球色ではなく、蛍光灯のような白い色。 あ、防災袋にはいっているランタンみたいなのかな。 昨年の1月にスーパームーンというのがあったが、 その前後のこと。 あとあと思うと、月の白い光だったようにも思える。 今の時季に、月の位置を確認すれば、解ける謎なのだが、 無理に解かなくってもいいかな。 ホームズと009の嫌いなところは、 「怪異」をすべて「科学と機械」に分解してしまうところ。 天使編が未完でとまっているのは、 石(ノ)森さんが、「機械」でない答えを探していたためでは? と、 今、思い当った。 自分は、無神論者ではない。 が、まじめな宗教者でもない。 「どれかの宗派が正しい」という考えには至らないし、 いろんな宗教が並立しているのが、「あたりまえ」だと思えてしまう。 相互に「不可侵」が守られるのであれば。 たいした根拠もないが、できるかぎり「永世中立」でいたいと思う。 どれか1つに肩入れする根拠もみつからないし、 肩入れすることが他の派閥を非難・否定することと同じにみられる可能性もある。 来世や楽園での「ご褒美」はいらないので、 のんびりケンカせずに暮らしたい。 こんな、なまけものな立場に追い込まれたのは、主に2つの理由がある。 1)自分を熱心に勧誘する派閥がなかったこと。 2)「ユダヤ教寄りのキリスト教」に近い新興系に属する友人Aが、日蓮宗のおばあちゃんが唱える念仏をひややかに否定する言動にであったこと。 単純に、2)の苛烈さにはビビった。 もちろん、おばあちゃんには聞こえない距離で、大きくはない声で、 「あの言葉のなかには、真実はないのに」 くらいの、ほぼ、ヒトリゴトではあったのだが。 この非難の矛先の前にたたされるのはごめんだと、思った。 もし、Aに勧誘されていたら仮入門くらいはしたかもしれないが、 自分は「苛烈」になれるほど、信奉できないことも分かっていた。 それでも「キリスト教入門」みたいな一般書に手をのばしてみたが、 「そんな本の読んでもむだだよ。」とAからは言われるし、 何を読めばいいかと尋ねても、明確な回答はなかった。 とりあえず、 生半可なことで矢面に立つ気もないし、 宗派・宗教の根深い対立を理解することもできないし。 まぁ、「参戦放棄」でも「永世中立」でも、なんと呼ばれようと、 できないものはできないのだ。 エスペラント語にならって、 世界の宗教に「共通する原理」を骨組みにして、 各々の欠点の切り捨て、長所を編み上げたら、 なにか、すごいものができそうな予感はするけど、 たかだか一国家の国会レベルでも、合意形成ができない昨今では、 まだまだ時期尚早なのだと、あきらめすりかないかなぁ。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年01月25日 20時28分39秒
コメント(0) | コメントを書く
[あさ・がおの哲則 「手探りの人生訓」] カテゴリの最新記事
|