テーマ:新撰組!(305)
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新選組の限界、ということをこのところ痛感する。既成の枠組みの中で物事にあたろうとする者と、その外側で新たな枠組みを生み出そうとする者の勢いの差は明らかだ。守る者と攻める者の構造的な宿命か。
自分が斬った浪士の妻のために、松原忠司は愚直にも心を尽くし、刺されてもなお女を庇った。松原と隊の名誉のために、斎藤は松原の介錯をし、未亡人を斬り捨て、その責は歳三が一身に引き受けた。「最後まで女を救おうとした松原の想い。その松原の仇を討った斉藤の想い。そして、すべてを自分のせいにして収めたお前の想い。それぞれの想い、しかと受け止めた」。新選組は自己犠牲による「鉄の結束」をもってこの難局を乗り切ろうとする。 処分を受けるいわれはないという長州の誇りを、竜馬は薩摩に認めさせた。長州と組んで幕府に歯向かうための逃げ道が欲しい薩摩に対しては、帝のためにという大義を与えた。「自分のところが一番大事じゃき。それでええがじゃ」。竜馬は薩長両藩がともに藩益を主張するのは当然だといわんばかりに平然とこれを受け容れ、両藩が互いに利益を享受できる「大人の付き合い」を提案する。 新選組は相変わらず隊内統制に手を焼いている。「俺たちは今まで以上に一つにならなければならない」。勇は悲痛な覚悟を口にする。その一方で、坂本竜馬は薩摩と長州の同盟を鮮やかに成立させ、その瞬間、形勢は一挙に逆転した。「難しい話をまとめるがは、面白いのう!」竜馬は爽快に笑い飛ばす。新選組はますます硬直化し、竜馬はますます軽やかだ。 だが、だからといって、薩長が正で新選組が邪だとか、竜馬は優れているが勇は愚鈍だなどと決め付けることには躊躇する。勇たちはみなそれぞれ自らの使命に忠実であった。彼らは彼らなりに懸命に想いを巡らせ、真摯に自らの信念に取り組んでいた。河合耆三郎は、自分の裁量で左之助のために五十両を融通する。あくまでも自らの職務と仲間のために誠実に。歳三は悪者になることを厭わず、総司はそんな歳三が心配でならない。勇は松本良順に長州攻めの参加を咎められ、「よからぬ企みがありそうだというだけで、何の証しもないまま一国を攻め滅ぼそうとしている」との指摘に一瞬考え込むが、もはやどうにもならない。 彼らの信念は時勢に合致しておらず、防戦一方の中で無理が無理を呼び、結果的に非道な結果を招く。哀れといえば、哀れであるが、崩れゆく秩序の中で自らの立場を全うせんと奮闘する姿は尊くもあり、彼らを一概に非難する気にはなれないのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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