テーマ:『義経』(332)
カテゴリ:『義経』
先日、「違和感あり」との記事を書いたが、今日再度見直してみて、ちょっと補足(ないし訂正)したい。別にどこからも文句がきたわけではないが(苦笑)。
全編を通しては、大御所の役者さんが雅びな衣装を身にまとい、時代劇らしい言葉を使い、そこかしこに伝統的な美術や芸能がちりばめられ、ナレーションが語り口調で歴史背景を説明するなど、実にいわゆる大河ドラマらしいつくり。雰囲気としては「花の乱」や「北条時宗」に近いものがある。その意味での「違和感」はまるでない。冒頭の一の谷の場面は意図したほどにはまるで効果的ではなかったとは思うけど、これも「違和感」という表現は少し違うかも。 オープニングについて。義経の一生を象徴しているということはわかった。銀河がうず潮に投影され、その激動から現れた白馬(当然、義経のこと)は、鞍馬っぽい山々をバックに、桜並木(五条大橋?)や緑の林中(奥州?)を駆け抜け、なんだかんだあって、厳島神社(平家を表す?)での舞、静御前らしき切り絵、文書(腰越状?)などが挿入されつつ、白馬は再び森に帰っていく・・・みたいな。なお、切り絵は「宮田雅之」氏の作品と判明。この名前を見て、10年くらい前のNHK金曜時代劇「天晴れ夜十郎」にも宮田氏の切り絵が使われていたことを思い出した。そういえば当時はキャッチ的な使われ方が実に装丁ふうで非常に印象的だった。今回の切り絵はおそらく静なのだろうが、それ単体ではとてもいい感じだとは思うけれども、やはり統一感という点ではしっくりこない。う~ん、残念。 本編では、やはり今回は清盛と常盤の心情に尽きる。清盛に対面した常盤であったが、ここでの常盤は、三人の子が処刑されるのは仕方ないとは思わない。子らが殺される姿を見たくないから先に自分を殺してくれとも懇願しない。気丈にも、義朝に託された子供らの延命を乞う。そんな常盤の健気さに清盛は心惹かれる。そして、美貌に目を奪われたというのではさすがに生々しいが、清盛の実母に似ているという情けの部分が強調され、頼朝助命の経緯とも相まって、本作で語られるであろう清盛の父性ないし包容力がここで表現されていたのであった。もっとも、こういった描写が再度見直さなければわからないというのはいかがなものか。まあ、単に僕自身の感受性が鈍かっただけかもしれないが・・・。 あと、特記すべきは平家嫡男の重盛。一本芯の通った良心派であるだけに、勝村政信というのはちょっと線が細いかと思われたが、案外悪くない。ただし、「口の端」(くちのは)を「くちのはし」と言っていたのは聞き逃さないぞ。 なお、実に魅力的な神木くんであったが、彼はタッキーよりむしろ上戸彩に似ている。これはどうでもいいことですが(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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