テーマ:『義経』(332)
カテゴリ:『義経』
母・常盤との別れ、鞍馬寺での暮らし、覚日律師や鬼一法眼との邂逅、そして、自らの出自の判明――と、物語上大きな転機となる出来事が次々と盛り込まれた今回であったが、またもや期待外れに終わってしまった。
遮那王の心の乱れが伝わらず、まったく感情移入できないのである。神木くんには申し訳ないけれども、無邪気なだけの牛若時代ならカワイラシさだけで充分通用したものの、鞍馬山に預けられた遮那王は少し重荷だったと思わざるをえない。もっとも、子供ながらに頑張っている神木くんにその責めを問うのは酷だろう。そこそこ演技を知っているふうなのが裏目に出てしまった感もある。 それよりも糾弾すべきは、新宮十郎義盛(行家)や金売り吉次の登場の仕方があまりにも唐突すぎることだろう。彼らは遮那王を巡って思惑をうごめかせている連中である。その点についてあらかじめもっときちんと説明がなされていれば、遮那王が背負わされた運命を思い、同情し、こうした視聴者の想像力の助けを得ることによって、遮那王にぐっと感情移入できたのに・・・と思ってしまう。お徳に遮那王の運命を予告させた場面も、これではうまく活きてこない。タッキーを早く登場させたいためかしらないが、この端折り方は実に残念だ。ここらへんの話はもっと面白くなるはずなのに、何とももったいない。 だが、今回の「義経」は、視聴率は結構いいらしい。タッキーが出た今週はさらによくなるのだろうか。 う~む、何か釈然としない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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