テーマ:『義経』(332)
カテゴリ:『義経』
前回までのまどろっこしい展開から一転、今回は物凄いスピードで話が進む。鞍馬を脱出したかと思ったら、次のシーンでは一気に尾張まで飛び、家来を次々と抱えつつ、結局平泉の手前まで行ってしまった。この目まぐるしい流れのおかげで、今日は居眠りせずに済んだ(苦笑)。最近「義経」についてボロクソに言い過ぎた嫌いがあるので、せめて珍しく退屈しなかった今回くらいは、好意的にこの物語を捉えてみたい。
前回までののんびりした話の運び方から比べると、今回の怒濤の急展開は異常である。だが、これほど徹底した詰め込みようは、かえって意図的なものを感じる。つまり、今回は鞍馬脱出から始まり、盗賊の襲撃、初めての殺生、烏帽子親のいない元服・・・という数々のエピソードとともに、喜三太、弁慶、伊勢三郎、駿河次郎ら主要な家来が集結していく実にドラマティックな話であって、膨らまそうと思えば3話くらいは軽く作れる内容である。にもかかわらず、あえてそれらを1話でまとめたということは、2005大河「義経」は、そういった血沸き肉踊る冒険活劇的物語などは指向していないとの宣言にほかならない。すなわち、2005大河「義経」は、実父を失い、母と離れ離れになり、父と慕う清盛とは敵対せざるを得ない義経が自らの運命に翻弄されながらあくまで人との絆を希求し続ける悲哀に満ちた生涯を、じっくり丁寧に描くナイーブな物語なのである。それゆえ前回までの遮那王の苦悩はくどいほどに厚く描き(描き切れたかは別として)、今回の奥州道中はびっくりするほどあっさり済ませるのも、制作意図がそういうものだとすれば、なるほど整合性は認められよう。 いみじくも今回、義経がどうあっても平家は敵かと呟いた。そして弁慶がその覚悟を決めさせ、自らもその運命を共にすると誓うと、義経は目を見張った。それはまさに義経が自身の中にあった迷いと決別した瞬間であり、この描写によって、今まで義経が思い悩んでいたことの中核が平家への未練であったことが明らかになった。ようやく前回までの退屈な描写が一瞬にして意味を与えられ、もやもや感がやっと消化された気がする(ならば今までのくどくどとしたじれったさは無意味だったのかと問われれば身も蓋もないが)。 義経のもとに続々と家来が集まってくる。そして義経は彼らを悉く召し抱える。義経自身、身近な人との縁が薄く、それゆえ縁を求める者の気持ちがよくわかるのであろう。この点も、義経の孤独ゆえの人恋しさを示すものとして非常に象徴的であった。 なお、遮那王出奔を知った平家が追捕命令(宗盛は「ついほ」と言っていたが「ついぶ」では?)を出したにもかかわらず、義経たちに遭遇することすらできなかった。これは当時の平家の強力な軍事力を考えると奇跡的であり、急な命令だったため軍備が整わなかったからだと解釈するほかない。だとすれば、前回までの遮那王に対する平家の警戒に至っては、実はまったく切羽詰まったものではなく、包囲網もほとんど機能していなかったのであって、前回まで遮那王が京都近辺でぐずぐずしていられたということも、そう考えれば合点がいく(ということにしておく)。 もっとも、こういったことは今回ようやく納得できたことであって、本来ならその場面場面でその都度きっちり共感させてほしいものである。その意味で、依然として完全に信頼するには到底至らず、手放しでワクワクする気にはなれない。今後の展開をクールに見守るばかりである。 #「好意的」と捉えてみたいと言いながら、結構皮肉っぽい語り口になってしまった。まだ充分懐疑的だと自覚。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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