テーマ:『義経』(332)
カテゴリ:『義経』
山奥で遭難した藤原泰衡を、義経は無事救い出す。父親が本心から我が子を見捨てるはずがないと親子の愛をひたすらに信じ、北斗星から自らの現在地を割り出しつつ木に残された刀傷を冷静に辿り、馬を巧みに操って急坂を駆け降りた。情愛と知略と勇気。もものふとしての器量を兼ね備えた涼やかな御曹子に、秀衡は「無謀だが、見事!」と感服し、藤原一族も心から頭を下げた。なかなかに爽快な場面である。
だが、ここでも五条大橋と同様、「重要シーンの2話ぶった斬り」という物語構成上致命的な過ちを犯してしまっている。ここはやはり、藤原氏一同が義経に平伏したところまでをひとくくりとして一話を完結させるべきであった。そうすれば、視聴後の爽快感は義経の英雄性にまたひとつ伝説を加えるであろうし、今後の展開としても、これで義経が奥州藤原家にすっかり受け入れられたという共通認識を明確に視聴者に植え付けることができたはずである。つくづく惜しいことをしたものだ。 とはいえ、こういった姑息な構成手法は別にすると、全体的には、前回あたりから含みのある味わい深い展開になりつつある。今回でいえば、泰衡救出の際の急坂下りは当然一の谷に繋がるのであろうし、鹿ヶ谷の陰謀に加担した後白河法皇に向けられる清盛の伶俐な視線や、それに対する後白河法皇の怯えようは、両者の緊張関係の高まりが鮮明に表現されていた。ここはさすがに名優同士である。 若手役者の演技に関しても、朝ドラ「ほんまもん」のときは目も当てられぬ程にダイコンであった海東健は、今回の佐藤忠信ではそこそこ健闘していたと思われ、上戸彩についても、うつぼの存在意義自体はまだ良くわからない部分はあるものの、義経の立場を慮って都に去っていくさまはなかなかに切ないものがあり、少し見直した。 また、前回はネタ系だけでお茶を濁したため言及しなかったが、平家、源氏、藤原氏それぞれの嫡男の振る舞いが実に興味深い。当代の武家における「嫡流」の重みが強烈に提示されている。父の重荷を引き受けると心に決めた重盛は、義経が奥州に去ったと能天気に胸をなで下ろす宗盛とは違い、奥州に対する警戒をいっそう深める。流人として潜伏中の頼朝は、親から言い聞かされた自らこそが嫡流だとの誇りを胸に、義経をあくまで「庶流だ」と当然のように突き放す。人は好さそうだが事なかれ主義の泰衡は、やがて義経への情と家名存続の宿命との板挟みとなって、悲劇を巻き起こす張本人となるのだろう。 そして、義経は――厳然と「庶流」であるにもかかわらず、不幸にしてそういった区別をする思考を持ち合わせてはいない。自分は「源氏の棟梁の血を引く者」であるという事実が、彼にとっての唯一無二の行動指針である。それゆえ、源氏以外の者に対しては警戒を怠らないが、源氏所縁の者やこれを慕う者たちはすべからく味方だと信じて疑わず、盲目的に情愛を傾ける。しかしながらそのことが、「嫡流」に絶対の価値を置く頼朝とは相容れず、悲劇を生むのは周知の通りである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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