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カテゴリ:日常の出来事
引き揚げ後60年にして再訪した懐かしき中国東北の諸都市 中国東北丹東は私の出生地、長春は引き揚げるまで住んでいた街、葫蘆島は引き揚げ船乗船港です。そして大連は岡山からは今も東北地区への玄関です。 夫々の訪問記は『センチメンタルジャーニー』でご覧下さい 此処では其処に添付していない写真をご覧いただきます。 安東 現丹東市 昔の安東駅 現在の丹東駅 私に安東の些かの記憶があるのは鴨緑江で冬滑ったスケートと近所のお寺(当時の地図で検討をつけると多分「東本願寺」である)の庭で三輪車に乗って遊んだ事くらいだが、惜しむらくは写真が引き揚げの際1枚も持ち帰れなかった。 新京特別市 現長春市 戦後数十年残っていた長春の元日本人家屋 新しくなっていた西広場小学校(※) 戦後も使用されていた新京駅 残っていた西広場給水塔 1946年の秋10歳で引き揚げたが06年6月60年ぶりに長春を訪れた時吃驚したのは私が住んでいた事があった興銀の寮と通っていた小学校の近くにあった西広場の給水等が其の儘残っていた事である。 葫蘆島市 当時葫蘆島は私の記憶では都市とは云えない所だったが現在は中国海軍の軍港であり市街も立派な都市として発展していた。 葫蘆島市馬杖房の収容所跡 葫蘆島市街を走る馬車 埠頭で乗船を待つ引き揚げ者の行列(※) 葫蘆島港(※) 大連市 昔も今も中国への玄関 大連市には近年親しくなった中国人のご夫婦の実家があって何度も泊めてもらっています。泊めてもらった時には近所の中山公園にある朝市でひまわりのたねを3Kg買って帰る事にしています。此処は目の前で炒っており中国で屈指に旨い種だと思っています。尚彼らは私の高校の同級生の家に長年下宿していて子育てまでしていた時期があり後日知ったのですが彼らの上の娘は何と私の後輩でした。しかし知り合ったのは同級生からではなくネットで知り合った丹東からの留学生の紹介でした。この経緯は「丹東訪問記」に書いてあります。 外装が改装されている大連駅(※) 水師営出の私 (※)はネットより借用 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年03月07日 12時07分40秒
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