「自分史」抄録 以後の出来事1.(年譜形式)
平成13年(2001年) 6.ホームコースの長船CCで1R89が出た(パー70)。 7.岡山県福祉ボーリング大会準優勝 新聞に写真が出た。 9.世界を驚かせた紐育同時多発手をが発生した。 10.イチローがアメリカ大リーグで首位打者となった。 久米の円光寺の住職が急逝した。 母の遺産相続がやっと終わった。 11.高校同期の大石が経営する「雅芳」が失火により消失。 12.母の一周忌を勝山で行った。
平成14年(2002年) 1.母の弟の小一叔父が亡くなった。 不二銀杏会「中四九支部会誌」初版をワープロの手作りで発行した。 2.リタイヤー後初めて海外旅行で高校同期連11名で上海と杭州へ3泊4日の超安ツアーに行った。 .母校の出石小学校が閉校した。 4.母の妹の緑叔母が息子の完治君と来てくれた。30年ぶりに会ったが90歳で元気であった。 5.私は発作を起こし国立病院に入院したが「痙攣性狭心症」と診断され一生ニトロ常備を余儀なくされた。 6.娘婿の成田勝吉が家業(プラスティック自動車部品工業)がジリ貧になったので8月で廃業する事にした。 7.姉婿の河田三郎さんが胃癌のため亡くなった。 40年ぶりに桑田中学校の同窓会をした。私も世話人の一人として携わった。 8.義兄とスイスへ行ったが2日目義兄が足を痛め最後まで歩行困難となって大変だった。不二の先輩の古家夫妻と偶然一緒だったのでお世話になった。帰国後私は一時的に前進に震えが来たがすぐ治った。甥の真作の診断は心労による神経バランスが狂ったのではとの事だった。 11.不二製油OB会の「銀杏会」会長を頼まれて受けた。