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鴨緑江の街丹東生まれのブログ

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2009年12月01日
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カテゴリ:日常の出来事

 ブログデザインを久々に更新しました。 実は来年秋念願(いろいろと多いのでが)のシルクロードに行ける可能性が出たのを記念してのことです。

残す所今年もあと1ヶ月

少し早いが今年の総括を・・・                                 先ず訪中旅行4回。個人旅行で2回岡山市日中友好協会1回長春会旅行が1回であった。

最初の個人旅行は3月に丹東同郷で前我的漢語老師のH.Xとの2人旅で先ず大連でXの弟と1日過ごし後は順にXの妹の居る錦州、引き揚げ船に乗船した葫蘆島、生地丹東、最後がXの両親ともどもF一家と大連で2日過ごした。

葫蘆島では港外の海浜に在った「日本僑浮遺返之地」碑が葫蘆島に新しく漁港を造る為に沖合遠くまで干拓されていて碑の周囲は荒れ果てていて僅か3年足らずの間だが時代の変遷を感じ寂しい思いがした。

2度目は8月暑い事で有名な石家庄から始まって北京、天津、秦皇島そして最後が大連だった。

石家庄は現漢語老師のZ.Lの生家がある。彼女の生家に2泊した後彼女の母親とともに北京、天津にそれぞれ1泊し私の元の会社の後輩たちの世話になった。

天津で彼女の母親と別れてLと2人で彼女の出身大学のある秦皇島に行き以前から行ってみたかった万里長城の東端の海中に在る老龍頭を観る事が出来た。

この後大連に向かい1泊後一人で無事帰国した。

秦皇島では予定していた燕山大学の賓館に外国人お断りと云われて泊まれず彼女が民宿を探して3度も変えてやっとその夜の宿泊場所が確保出来たという想定外の出来事があったが

極め付きは秦皇島から大連へ向かう列車の乗車券が買えず止むなく夜行寝台バスに乗ったのだがベットとは名ばかりの通路を挟んで4列2段の狭い寝床と云う酷い車で慣れない私はほとんど眠れなかった。

後で聞くと中国の夜行寝台バスは盗難や車両事故が多く酷評でめったな事で日本人は乗る事は無いそうだ。知らなかったとは言え眠れなかった以外何事も無く済んでよかった。

もう一つ実はLは論文の書き残しもあって秦皇島から石家庄に帰りたかったらしいが母親から大連まで私を送るよう言われたため一緒に来てくれたのだが若し一人であのバスに乗っていたらと思うと流石の私もぞっとした。

4月の洛陽行きは大げさに云うと良い意味で人生最大の経験が出来た旅行であった。

私は例年この時期岡山とは友好都市の洛陽の黄河小浪底ダム河畔の植林、中国第1と称される牡丹祭り観賞、中国最古の白馬寺参詣及び付近の観光に行っている。

所が今年は世界切手展と第27回牡丹祭り(中国は9の倍数を目出度い数字としている)の記念式典が行われ中国政府から張国務院副総理や楊洛陽市長が列席されていて我々は特にその貴賓席の一角に席が用意されていたのには吃驚した。

おまけに数万人収容された巨大な特別会場の舞台では延々と各種アトラクションが続いたが私は場内放送がよく聞きとれずただ眺めていた所突然目の前にあのジャッキーチェン北京五輪で歌っていた宋祖英が現れて歌いだした。

よもや世界的スーパースターの舞台を目にするとは思ってもみなかった。

最後は9月長春会旅行に参加し此れまた念願だった中鮮国境の長白山観光に行って来た。

この山はめったに晴れる事が無いらしかったが我々は幸運にも晴れ渡った山頂に立ち火山湖の「天池」を眺める事が出来た。対岸は北鮮である。

此処にも江沢民の書碑があった。この人は実に何処へでも出掛けており各署に書碑を遺している。

この後行った図們の豆満江に架かっている橋の中程に在る中鮮国境線にも立ってきた。此処はつい最近米国の報道関係者が越境したため拿捕されて国際問題になった所である。

なおこの旅行の余話として実は長春市の徳恵希望奨学を訪問したのだがこの学校を寄贈した原武哲氏が私のブログを偶然ご覧になってメールの交換をさせて貰うようになり事が弾んで先生が住まわれている久留米に伺い、

同じく久留米の長春会の会員である古田氏ともども佐世保に在る「引揚第一歩の地」碑と博多港に在る「引揚記念」碑をご案内していただけたのである。

後は持病の狭心症の発作が本年は多かった事、ペタンクでは優勝が遂に1回も無かった事、年末にかけて腰痛が酷くボーリングも休んでいりる事とよくない事が多かった。

更にはこの後今月4日初めて新京西広場小学校(長春)の同窓会に出席する予定にしている。

戦前通った小学校であるが通学した期間も短かった事もあって殆ど何も記憶がないのであるが会の性格上決して新入会員は無いので何れは消滅する運命故に1度は参加しておきたかったのである。

事実もう1校通った事のある八島小学校の同窓会は3年前に閉会していて私は出席しそこなった経験があるのである。






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最終更新日  2009年12月02日 10時05分31秒
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