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2010年03月14日
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カテゴリ:自分史抄録

語り継ごう「戦争(満洲)の悲劇」

11日だったか地元紙の山陽新聞の文化部のS記者から長春会の会長より紹介されたと云って電話インタビューを受けた。

と云うのは旧満洲の各都市の名前をとった「○○会」の中の最大会員を持つ「日本長春会」が昨年末念願の文集「新京・長春の記憶(子や孫に戦争の悲惨さを語り継ごう)」を刊行した。

私も拙文を応募したのだがこのS記者が偶然かどうかある人物からこの本の事を知り長春会の会長に問い私の事を紹介されたという経緯であった。

昭和初期以来狂気の軍部とそれに引きずられた政府の口車に乗せられた日本の農村の人達が北満方面に開拓団を組んで続々と渡満した。

しかし昭和20年8月ソ連の不法参戦以降庇護されるべき関東軍に見捨てられ言語に絶する苦闘の末多くの被害を出しながら南下してきた彼らの手記が主体の文集である。

何とか帰国出来て今日まで生き延びこうして手記を書くことの出来た方々の中にも家族や近親者から生き別れ大陸孤児となって余程運の良い方はその後久しくして再会を果たしたかもしれない。

日本と云う国はこの様に国民を苦しめておきながら政府も司法も殆ど責任を取ろうとしないと云ったら言い過ぎだろうか。

兎も角この種の本を読んだ事の無い方はこの際是非お読みになることをお勧めしたい。

特に昭和の日本の侵略史の実態を殆んど教えられていない戦後の若い人たちにお勧めしたい。

なおこの文集に載っている私の拙文の元の「私の満洲引き揚げ録」は当ブログ06年12月7日に[自分史第2部]として記載されています。(ご参考まで)

長春会文集についての山陽新聞(岡山)掲載記事 名前ぼかし.jpg






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最終更新日  2010年03月16日 19時39分38秒
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