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カテゴリ:劇団ヒトリゴト。
あの時、高校生だった。
試験勉強をしていて、集中力が切れた時リビングに戻ったら、両親がテレビを見つめていて…立ち尽くした。 正直、現実離れし過ぎていて、映画のようにさえ感じた。 だから今も、その時の先生の言葉が、自分の9.11に対する記憶や感情を構成している。 国語の先生は、文章の力を語り、何とかなったはずだと強く言った。 数学の先生は、アインシュタインを語り、故人の苦悩を嘆いた。 音楽の先生は、ジョン・レノンを語り、LOVE&PEACEを教えてくれた。 社会の先生は、世界の終わりだと思った…、そう呟いた。 自分は…自分だけだと、目の前の人の幸せは願えても、 それ以外は、どこか客観的になり過ぎてしまう気がする。 先生が、その言葉をどれくらいの重みを以って、放ったのかはわからないけど、 記憶に残る、先生達の数々の言葉が、自分を構成する大事なパーツになっている気がする。 ふと、それに気付き、文章として認めてみる、2011年9月11日。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年09月11日 19時41分31秒
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