氾濫万丈??
自分の過去のブログを読んで懐かしがる・・・なんて、どうにかしていると思うけれど、本当なのだから仕方がない(笑)最後の日記の直後、母が倒れました。今度は膝に水が溜まって歩けないのではなく、脳梗塞でした。軽かったのですぐに退院でしたが、一週間、上げ膳据え膳、2メートル先のトイレまで行くのも車椅子の送迎。そんな生活をして一週間完璧な寝たっきり老人が出来上がっていました。まいりました。ワタシもまいりましたが、母の方がもっとまいりました。リハビリできる施設を探しましたが、「交通事故や病気の若い人をリハビリするのだけでも場所が足りないのに、自分で動かなかったため筋力が弱った老人のリハビリは無理です」と、門前払い。泣きつく母のため必死で施設を探しました。実家通いと施設探しでメチャクチャな状態。あちこちに断られたり、気が遠くなるような順番待ち、そして3ヵ月後やっとの思いでみつけた個室ユニット形式の施設。希望を聞かれ「また歩けるようにしたいのでリハビリをお願いします。」と・・・希望に応えてくれました。歩けるようになりました。そしたら・・・母は帰りたいの大騒ぎ。毎日、10回以上電話はかかってくるし・・・挙句の果てには妄想がひどくなりついに弟が負けました。3月にまた実家に帰ってきました。歩けるようになったので、介護度は下がり、それなのに認知症は進み、ワタシは母の通帳を取った泥棒扱い。義母にまで母が「娘は泥棒です、通帳を返すように言ってください。勝手にお金を使っています。」と何度も電話をかけるので、友人たちの前でワタシは何回泣いたことか。どういうわけかオットの前では泣けませんでした。義母は母より5歳も年上なのに、身体は具合が悪いところはあっても頭はしっかりしていました。それなのに母は夜中の12時とか非常識な時間に義母にワタシの悪口の電話。義母の電話は古い黒電話なので、留守番電話にもできません。泥棒の内容よりなにより、高齢な義母が深夜の電話で疲れきったことでオットに責められ・・・。警察、銀行、郵便局、近所、通販のお店・・・あちこちに頭を下げ続けました。オットだけには逆切れしましたが。おまけに停車中に追突され車は壊れるし、腰のムチ打ちになり何か・・・呪われているのかしらと(涙)そんなで訳の分からない1年弱でした。