いじめ問題
なにかのニュースでいじめが何パーセントあるといデータを示していた。そのニュースはこんなに潜在のいじめがあるということを示しているのだろう。これではマスメディアもいじめという問題の根本が分かっていないのではなかろうかと、疑問に思ってしまう。いじめの数値を出して、学校が悪いと。いじめ問題は前提から間違っている。まずいじめというのは特殊なものではない。なにも人間だけが、いじめをするわけではないからだ。生き物であれば力の関係が出てくる。いじめはいたって自然な行為ということを念頭に置かなければ話が進められないだろう。確かにいじめは悪かもしれない。でもいじめはあるだ。防ぐことはまず無理である。それが自然な行為だから。いじめがあることを前提に、いじめで苦しむ人を救う方法の模索する事が大切なのだ。学校が一番いけないのは、防いでいるつもりで、実は目をつぶっているということにある。親がいけないのは自分の子供を知らないことにある。。友達がいけないのは自分のことで精一杯であるということだ。要するに全てで余裕がないから、いじめで苦しんでいる人を救えなくなるのだ。そんな状況だから、なおさら当事者にとって地獄だろう。いじめ問題で何が大切か。人間関係である。しかし人間関係が希薄になりつつある日本社会、いじめをなくそうというのに逆行してはないだろうか?人間関係が正常な場合は、いじめが存在してもそれは大きな問題に発展することはない。なぜなら人間関係が正常なら抑止作用が働く。いじめ問題は人間関係が悪くなったからあるのでなく、もともとあるいじめが人間関係の悪化により抑止作用が効かなくなったからあるのだ。これを前提に考えれば社会がいじめ問題の深刻化を作っているとお分かりだろう。この先日本が自分の事しか見えない人間が増えることは間違いなし。そうすると自分を守るしかない世の中になります。なんと悲しい世界でしょう。いじめ問題で気が付くべき社会の悪化を、いじめを排除すればいいという短絡的な解決方法で根本的な問題に目をつぶれば、最後のチャンスを失うでしょう。悪事は染まりやすく、善は残念ながら広がりにくいもの。今出来ることは自分自身、あなたが心を開くことかもしれません。それがいじめの解決につながります。