バッティスティ:70年代のイタリアン・ポップス
日本では1970年代に入ると、イ・プーやPFMなどのグループのレコードやバッティスティ、ミア・マルティーニ、マルチェラなどのレコードが発売されたものの、60年代のような誰もが知っているというようなヒット曲は生まれませんでした。思うに、74年のジリオラ・チンクェッティの「太陽のとびら」が最後ではないでしょうか。私自身は、この頃のグループがプログレッシブ・ロックと紹介されていたこともあって、あまり聴きませんでした。でも後に聴いてみると、イタリアらしいきれいなメロディーの曲もあって、もっと違う紹介の仕方がされていたら、また違った展開になっていたかもしれないと思うことがあります。この頃のグループは今も顕在で、日本にも根強いファンの方々がいらっしゃいます。さて、ルチオ・バッティスティのヒット曲についてですが、日本でも数枚のアルバムが発売されましたが、残念ながらあまり知られていません。バッティスティはイタリアでは、67年のエキペ84のヒット曲"29 settembre"の作曲家として注目されます。そして歌手バッティスティとしては、"Balla Linda"(1968年カンタジーロ4位) "Acqua azzurra, acqua chiara"(1969年フェスティヴァルバール優勝) "Fiori rosa fiori di pesco"(1970年フェスティヴァルバール優勝)などをはじめ、次々にヒットをとばしました。また、多くの歌手にも歌われ、私自身ミーナやマルチェラが彼の曲を歌ったアルバムを聴いて、バッティスティを好きになりました。