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わたしの足跡

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2005.05.16
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テーマ:戦争反対(1190)
カテゴリ:各国のドラマ

イスラエルのラビン首相がパレスチナのアラファト議長とアメリカホワイトハウスにて握手をした、世界中を感動に巻き込んだ一瞬の言葉です・・・

『パレスチナ人諸君、言わせて下さい。血も涙も もう充分に流しました。もう充分です。』1993年9月13日の出来事でした。

このパレスチナ問題は私を悲しませている問題です。
今年アラファト議長がお亡くなりになりました時に、こちらのプログにも記しましたが、数日間悲しみの中にいました。

パレスチナ問題-
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教という三大宗教の聖地エルサレムを巡っての抗争です。
第二次世界対戦後、ユダヤ人はイスラエル建国を達成しました。これはユダヤ人にとりましては悲願の達成でした。

しかし、そこにはパレスチナ人がもともと住んでいた訳です。ユダヤ人は自分達独自の国を建国する為に、パレスチナ人を追い出しにかかりました。終にはパレスチナ人は流民となってしまいました。
そのパレスチナの代表がアラファト議長です。

この問題には米ソ両国の思或も加わり、20世紀後半の国際紛争の象徴となりました。

しかしイスラエルのラビン首相とパレスチナのアラファト議長は、血と血で洗う抗争からは何も生まれないとし、1993年のホワイトハウスにおいての世界からの祝福を浴びた和平会議での握手となりました。

ところが、それから2年後の1995年、ラビン首相がイスラエル国民に和平路線を訴えたその場で、敵ではなく自国民の銃撃によって殺害されました。和平を反対するユダヤ人の青年から発砲されたものでした。

アラファト議長はその時・・・
『私がもっとも恐れていた事です。これまでの血のにじむ努力を水の泡に帰してはいけない。』
という言葉と共に、それから和平に向けて訴え続けましたが、皆様がご存知のように今もなお、抗争はおさまらないまま、アラファト議長は、フランス・パリの病院でお亡くなりになりました。

ラビン首相もアラファト議長もノーベル平和賞を受賞されました。

この二人の思いがいつしか叶い、平和が訪れる事を願ってやみません。

宗教、民族問題が我々に訴えかけているものは何なのでしょう?

こうやって書きながらも涙が出てきます。





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最終更新日  2005.05.16 22:15:16
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