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わたしの足跡

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2008.03.23
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カテゴリ:生きる

本日、とうとう雪となりました。

毎日暖かく、春の日差しを感じていましたのに、この2.3日、冬型に逆戻りでしたが、とうとう雪まで・・・

しかしなぜでしょう。雪が嬉しくて窓を開けてみてしまいました。

さて、こちらで何度か紹介させて頂きました“明治の人”がまた新しく追加されていましたので、拝読しながら・・・

今回、考えましたのは、やはり経験者にしか解らない、またはそれを本当に見た人達だけにしか解らない事、また事実があるという事でした。。。

抜粋です。


それからね、あの有名な「南京大虐殺」については色々といわれてますがね、日本の戦場区域となったほとんどに関わった経験を持つ者の現地での生の声というのは世間で言われているものとは違うんです。

南京大虐殺があったのは、昭和十二年十二月です。私が南京を通ったのが翌月の三月終わり。その時に南京の兵隊に聞いた話はね、「南京大虐殺は確かにあった」ということです。しかしね、何故あったかというとね、無碍に人を殺した訳や無いんです。

あいつら(敵軍=中国人)を殺さないと、自分らが殺されるから殺したんですわ。・・というのはね、中国人は上海で戦争に負けて南京に逃げ込んで来てたでしょ。

南京に入った日本人は現地にいる中国人を民間人やと思ってる訳ですよ。

中国人はそこを狙って、日本人をポンと銃殺したわけですわ。

しかも、日本人の下手な所は将校と兵隊の服の色が違うんですわ。

だから中国人からすれば、兵隊の位の偉い日本人が分かる訳で、その人間だけを選んで撃つわけです。

でも日本軍から見れば、どの中国人が兵隊で、どいつが民間人かが分からん訳やわな。そやから皆殺しして揚子江に沈めてしまえ、と・・・そういう話を私は、南京の兵隊から聞きました。

私の戦友は殆ど亡くなってます。何で亡くなったかと聞かれるとね、ほとんどが「船」ですわ。戦場での戦死よりも、敵軍の潜水艦に狙われた船が海に沈んだ為に死ぬ人間の方がはるかに多かったんです。私は沈没する船を二回も見ました。

戦地に向かう船は海軍が守ってくれるから、意気揚々として向かうことができるんです。ところが帰国する船は、「おまえら勝手に帰れ!」ってなもんで、誰も守ってくれへん。

*********************************

これは一部ですが、まだまだ戦時中の事で中国などと様々な問題が取り上げられていますが、事実は、やはりその場に居た方々が一番ご存知なのでしょうね。

現場で見えない部分も勿論ありましょうが・・・

明治の方々、大正の方々、まだまだ長生きしていただきたいものです。


『クリックで救える命があります。』
この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳!






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最終更新日  2008.03.24 06:05:47
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