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カテゴリ:スピリチュアル
この数日、寒い日が続いています。 昨日、とうとうもう限界か・・・と思いながら老眼鏡を購入しました。 まだ、大丈夫!と言い聞かせていたのですがお仕事に影響しそうでしたので・・・(ーー;) さて、目の前の事をきちんと丁寧に生きることが表現されていますお話を頂きました。 ****************************** 目の前のことを、いかに丁寧にきちんとやっていくか、が大事であって、ひ とつひとつの現象、そのすべてが尊いことなのです。 ありとあらゆる仕事、すべてにおいて言えますが、誠実な生き方をただ淡々 と積み上げていけばいいのです。 ただ、どうしたら喜んでもらえるか、だけを考えて、仕事に取り組んでいく と、それが<誠実な生き方>になります。 ****************************** -------------------------------------------------------- 三蔵法師が出会った、病に苦しむお婆さんのお話 -------------------------------------------------------- 三蔵法師は天竺への旅を始めたころに、道ばたでむしろにくるまったホコリ まみれの老婆に出会いました。 「私の病は、誰かにこの膿んだ所から、病気を吸い出してもらえれば治るのです。 旅のお坊様、お助けを!、お助けを!」 三蔵は都を出る時、大勢の方の夢と希望を託され旅立ったばかり、何百万人の 生活を託されての旅でした。しかし、三蔵は何の躊躇も無くそのお婆さんの 膿んだ所に口をつけ、吸い始めたのです。 病気を吸い出せば、病気になり、まだ始まったまかりの旅が出来なくなるかも しれない。都の王を始め大衆の期待を裏切ってしまうかも知れないにも関わら ずにです。 一口、二口と吸い出し、吐き出し、口の周りと膿と血が入り交じったような姿 だったでしょう。 「旅のお坊様、ありがとうございます。もう十分です。これで私の病はなおる でしょう。ありがとうございます」 その言葉を聞いた三蔵は、何事も無かったかのように立ち去ろうとしました。 すると突然三蔵の背後から目映いばかりの光差し、三蔵の名前をよぶのです。 三蔵が振り返ると、さっきの老婆は観音菩薩の姿に・・・ 7世紀、唐の時代、仏教典を天竺まで取りに行った玄奘三蔵は、往復17年 かけ、長安の都へ帰ってきました。片道1万5千キロの距離を往復17年、 行きに15年半、帰りに1年半かかったそうです。 帰りは1年半で帰ってきたのに、なぜ、行きは15年半もかかったのか。 それは、各国の王様の滞在要請を、玄奘がすべて受け入れたからです。 「ここで3ヶ月いてください」「半年いてください」と頼まれた玄奘は、 「はい。わかりました」と言って、その王国の家臣団、武士達に仏法を説いて いたのです。 玄奘の立場からすれば、天竺にありがたいお経を取りに行く、という大きな 目的があって、旅を始めたわけでしょう。 いくら王達に頼まれても 「私には使命があるのだから、あなた方の要求には応えられません」と断るこ ともできそうですよね? でも玄奘は断らなかった。 <今目の前にいる人が、1番大事だ>という事がわかっていたからです。 「仏法を説いてくれ」と言われて、ここで説かなければ、”私”が存在する意 味がないのではないか。 仏教典を取りに行くというのは、あくまで自分が決めたこと。 旅の途中で、”私”に対して「仏教を説いてくれ」と希望している人が目の 前にいる。その要望に応えないで、何のために私は仏教典を取りにいくとい うのだろうか。 当時は疫病が流行っていましたから、3ヶ月、半年と滞在している内に、病 気で死んでしまうかもしれない。しかし、それでもいいと思いながら、その 依頼に対しては、本当に心を込めて応えたのだと思います。 玄奘のとった行動を考えるときに、突然ぽこっと、私の頭の中からある言葉 が出てきました。 「玄奘が一人目ではない」 玄奘は、成功した唯一の人であって、それ以前にどうも何人かの人が天竺に 仏教典を取りに行ったらしい。 考えてみればそうですね。天竺にありがたいお経を取りに行こうとした僧侶 は、何十人もいただろうし、実行に移したと思うのです。 しかし、その人達は、誰一人、長安の都には帰ってこなかった。 どうして誰一人帰ってこなかったのでか。 それは、先を急いだからです。 王たちの依頼を断らずに旅先で、仏法を説いていたために、行きは15年半 もかかって天竺に着いた玄奘が、 帰りは1年半で帰ってこれたのはなぜか。 帰りもこの王達は玄奘を放ってはおかなかったからです。 ものすごい協力体制をしいて、国境毎に兵隊を出して、玄奘を擁護しながら 次の国境まで運んでいったのです。 国境で次の国の軍隊に申し送って、その王達も馬と兵隊を提供して、次の国 境まで擁護して… ということをやっていたのです。 この1万5千キロのすべての王達が、そのように玄奘を守って無事帰させた のは、行きの15年半があったからです。 玄奘だけがチャレンジャーではなかった。 玄奘が仏教典を持ち帰り、歴史に名前を残しているのは、 <行く道のすべての人を味方にすることができた>唯一の人だったからです。 玄奘は、仏教に詳しいだけではなかった。 今、目の前にいる人を大切にする人だった。 『クリックで救える命があります。』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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