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あなたはなぜ、勉強しているのでしょう?
なんのために? 最近、わたしは、本居宣長さんの直筆長歌幅を手に入れた。 「おお! 宣長さんの直筆もんだ!」 一応、しっかりしたところから購入したものだけど、本物かどうか悩むところではあった。 達筆でさらさらと書いてあり、署名が入っていない。 あるのは、落款の印のみ(因みに、「落款」というのは押印されたもののみを指す言葉で使われていることが多いが、実際は、署名や印のことで印のみとは限らない)押してある。 うーむ。 数少ない、写真資料で、宣長さんの筆跡を比べてみる。 「うっ! 字体が違う!!」 しかし、字体はよく変わるもの。時代によっても違うはず。 見ていてきっと本物だと思った。 なぜか? まず、印刷ではないのはすぐにわかる。 墨のにおいがするし、文字で重なっている部分の濃淡がしっかりしている。 そして、掛け軸全体から伝わる流れるような文字に、「宣長さんらしさ」が伝わってくるのだ。 桜を愛し、日本古来の和歌を好み、儒教や仏教が入ってくる以前の昔むかしのそのまた昔、「大和魂」を愛した宣長さんらしさが筆跡から伝わってくる。 ちなみに「大和魂」とは、武士や侍といった勇ましさをあらわす言葉ではない。 儒教・仏教文化の影響を受ける前からある、日本人古来の美意識的なものの見方・考え方。 長いこと忘れられていたのを、江戸時代になって初めて発見したのが宣長さんだと言われている。 印には「鈴屋之印(すずのやのいん)」という文字が篆書で書かれている。 宣長さんは、鈴を好んだ。自分の書斎を「鈴屋(すずのや)」と呼んで、号にしたくらいだ。 著書には「鈴屋答問録」というのがある。 つまり、問答の記録である。 宣長さんがますます好きになった。 いい「勉強」をした。 精神が豊かになった。 これが本物の勉強だと思う。 役に立つとか立たないとか(つまり、「狭義の実用」ということ)、そんなことのためにやるのは本物の勉強ではないと思う。 「勉強」という経験を通して、精神を豊かにする。 それが、結果として、一生役にたつ勉強。 だって、精神が豊かになるもの。 対象がなんであれ、追及しつづける。 試験のためとか、技術習得のためとか、そんなものは所詮「実用」であって、本物の「学び」ではない。 そう思いながら、ちょっとだけ宣長さんと対面したような気分になった1日であったことよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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