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子どもの頃、本気で宝探しをしたいと思った。
「トム・ソーヤーの冒険」では、トム・ソーヤーが本当に海賊の残した宝を発見する。夢で終わったり、途中、台無しにしてしまったりするという安易な結末ではない。 本当に本当に宝を発見して、家に持ち帰る。 わたしは、子どもながらにこの結末に驚いたものだった。 あれは、「子どもだまし」でない子どものための作品。 以来、マーク・トウェインが好きになった。 わたしも、小学生のとき、本気でお宝を探そうと思った。 わたしは、実家が熊本だったので、近くで探してみると(調査してみると)、調べたものでは、「天草四郎の遺宝」というのがあるかもしれないということが判明。 なんでも、島原(長崎県)に隠されているのではないか、という。 あれからもう、ずいぶん経つ。 いまだに、宝探しのことになるとわくわくする。 いつか(10年後くらいに)経済的・時間的に余裕ができたらやってみたいという思いはまだある。 学生時代、「お金持ちになったら、宝探しがしたい」とポツリと友達の前でもらしたことがあった。 「お金持ちなのに、なんで、宝探す必要があるの???」 夢のない人間だ。 そう思った。 宝を探すこと自体が愉しいのに。 わたしは、子どもの頃から、化石を採りに行っていた。 石を叩いて、思いもかけず、立派な化石が出てきたときは、心躍る。 高校生のときには、世界史を勉強し始め、遺跡に興味を持った。 チンギス・ハーンの墓を探してやる。 スウィン・ヘディンやシュリーマンの話にぞくぞくした。 もちろん、「古代への情熱」(シュリーマン)は読んだ。 トロイの町を発見したシュリーマン。考古学的には物議をかもしているが、彼がいなければ、トロイの話はいまだに伝説で終わっているかもしれない。 そう思って、大学は、考古学が学べる文学部をすべて受けた。 好きではあるけど、進むべき道ではないとわかり、軌道修正をした。 その後、文学の道に進むことに。 それでも、学生時代、骨董市や世田谷のぼろ市には行っていた。 お宝と文学ということで、肉筆モノのお宝という形でいまも、わたしの趣味として生きている。 本居宣長の直筆の掛け軸のことは昨日書いた。 わたしは、小林秀雄が好きで、彼の直筆原稿が欲しくて欲しくてたまらないのだ。 後半生の代表作の直筆原稿。 「本居宣長」など。 誰が持っているのか? 実は、数年前までは所持者がわかっている。 宇野千代さんだ。 二人は、親しい文学仲間。 小林秀雄は宇野千代さんに直筆原稿を贈っていた。 その宇野千代さんが亡くなってからは? たぶん、遺族関係の人が持っているのではと思っていた。 いま、世田谷文学館で、宇野千代展をやっている。 6/10までなので、見に行った。 ハハーン! ハハーン!! やっぱり! 案の定、小林秀雄の原稿も展示してあった。 「ゴッホの手紙」や「モォーツアルト」だ。 他の原稿などは何人かに分散されているのかもしれない。 いつか、肉筆博物館を作りたいと思っている。 お宝探しは、わたしの大好きなこと。 ぼろ市で高橋由一の油絵が見つかったとか、屋根裏からゴッホの絵が出てきたとか、奥の細道の松尾芭蕉直筆本が見つかったとか、樋口一葉のたけくらべ原稿を会社員が持っていたとか、そういう話を聞くと興奮する。 梶井基次郎の「檸檬」の原稿は、所在がわかっていないらしい。 梶井基次郎の原稿は、市場にめったに出てこない。 見つかれば、かなりのものだろう。 語り始めたら、キリがない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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