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2008年5月7日
長野に住んでいるスノーボード仲間から小包が届いた。 封を切ると、ふわっと山のにおいが漂う。旬の山菜が青々と包みの中に収まっていて、目に煌々しい。友人が送ってくれたのはわたしの大好きな「たらの芽」と、「こしあぶら」だった。 私は父の仕事の関係で秋田県の山奥の町に住んでいたことがある。その頃の父の定時はなんと四時だった。その代わり朝が早かったのかどうかは全く覚えていないが、仕事が終わると逸散に帰ってきた父は私を連れて渓流へ魚を釣りに行ったり、山菜を採りに近場の山に分け入ったりしていたものだ。今思えば、期間の限られた山暮らしを心底楽しんでいたのだろう。 たらの芽は幼い私にも見分けやすい植物だった。なんといっても、真っ直ぐに地面から突き出した幹の部分に薔薇のような棘が生えている姿が印象的だ。うるしと似ているから気をつけろ、という人もいたが、たらの木にはこの棘があるので間違えることはない。冬の間は雪の上で、まるで枯れているかのように静かに佇んでいるくせに、雪解け水が岩間を走る時期になると若緑を天に向かって一斉に芽吹く。その華奢なのに凛とした立ち姿を見つけると「あったよ~!」と大声で父に知らせるのが私の役目だった。そのせいか、今でもスノーボードをしに雪山へ行って、リフトから春を待つたらの木を見つけると、黙っていられなくなって同乗者に報告してしまうという妙な癖を持っている。 手を伸ばしてその芽を摘みたがる幼い私の背(せい)は、遠くたらの木に及ばず、父は自分に似て食いしん坊の娘を見下ろすとふっふっふと笑って、 「この芽は取ってもいいけど、こっちのはダメなんだ。二つ目の芽をとると、たらの木が枯れちゃうんだよ。かわいそうだろう。」 と山のマナーを教えてくれた。 芽の部分が見えもしない私にはどれが一番の芽でどれが二番の芽かまったくわからず、まさしくたらの芽は「手の届かない」山菜だった。そういうわけで私の仕事は専ら、ふきのとうと土筆を袋詰めにして持ち帰ることだったが、母が調理してくれた収穫物のなかで群を抜いて食いしん坊の胃袋を歓喜させたのはもちろん「たらの芽」の天ぷらだった。 私は春になると父とたらの芽を採りに行くのを心待ちにするようになった。春だけではない、季節を問わず山暮らしの頃のうちの食卓は野趣に溢れるものだった。わらび、ぜんまい、みず、うるい、ひめたけ、のびる、むかご、あかしやの花まで、今でも鮮明に味を思い出すことが出来る。そして実際に口にしたとき、味とともに懐かしい記憶がひとつづつ蘇る。記憶は、味覚と直結しているというのは、食いしん坊ならではの理論だろうか? 大人になって、父の影響で始めたスキーがいつしかスノーボードになってしまっても、私の山菜好きは変わらない。今年もよく滑ったねと山の神様がご褒美にもたらしてくれた幸かもしれない、と都合よく解釈する。これがあるから、毎年私は雪山への後ろ髪引かれる思いを断ち切って、ひとつのシーズンを終えることができるのかもしれない。 さて、たらの芽は定番の天ぷらにすると決めたが、最近人気の「こしあぶら」はどう調理したものか。天ぷらにすると美味しいのはわかりきっているのだが、このツンとした気品のある様を見ていると、たらの芽と同じ調理法では不足なのではと思い始める。ここはひとつ、刻んでだしで炊いたご飯に混ぜてみよう。たおやかで薫り高い「山菜の女王」様は湯通しするといよいよ青く輝きを増し、本日の食卓の主演女優の地位にまんまとおさまろうとしている。 揚げたて天ぷらが絶品です新潟魚沼産 たらの芽(約100g) 山菜王国山形の天然山菜天ぷらや和え物などに♪【こしあぶら】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年05月08日 12時52分58秒
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