以下 全て
栃木県動物保護ネットワークさんからの転載です
<動物のことをやりたいなら他へ行け
~栃木県動物愛護指導センター・栃木県生活衛生課~>
おそらく皆様も目にされたことがある
栃木県動物愛護指導センターの収容動物情報。
そこにも小さないのちのための
山崎さんの細やかな配慮がありました。
センターに行った時に、
私たちがわんこを出すときの判断材料で、
抱っこされていたり、素手で触っている
収容動物情報の画像を見て、
この子は大丈夫そうだと思って選んだと話したら、
山崎さんはにっこり笑って、
「ワンコは汚くない、それに素手で触っている写真だと
噛まないとか分かるでしょう?
俺が抱っこしていれば、噛まないとか可愛いとか
いい子だってみんなに分かるじゃないですか!」と・・・
聞けば、職場の申し合わせなどではなく、
山崎さんの想いで自分がやっているだけとのこと。
その時に初めて、収容動物情報ひとつとっても
動物たちのために少しでもチャンスを広げようと
私達でも気が付かないようなことまで気を配って
努力していることを知りました。
ちなみに彼が抱っこしていた犬は
私たち団体側が手を出す前に
一般市民から希望が出て、一般譲渡で決まっていました。
彼は本当にたくさんのいのちをつないできていたのです。
上三川の犬達は共食いばかりがクローズアップされ、
なかなか譲渡先が見つからず、山崎さんが
いつか処分されてしまうのではないかと恐れていた
上三川の虐待犬。新聞社からの取材で
犬を抱っこして見せていたのも
そんな想いがあったからでしょう。
いい子ですよ、抱っこできるし、可愛いよって・・・
上三川の虐待犬達は、劣悪な環境下で
糞尿のヨロイが体表面にガッチリ付いていて、
シャンプーどころかバリカンも入らない状態の
犬達でした。シャンプーも何もしていないのに
ここまできれいにしたのは山崎さんだったそうです。
本当に汚い状態の犬達でしたが
抱っこして、触って、そして自然にヨロイが取れて
キレイになって・・・
犬達の心のヨロイも取れて改善していったのは
山崎さんだからこそできたことです。
収容施設に勤めていた時は、
せめて殺処分場に送られる前まで、
自分のところにいる間はと、
自分のポケットマネーで動物たちのベッドを購入し、
特別においしいおやつやフードをあげていたそうです。
私も県南ドッグセンターは環境がいいと
話は聞いたことがありました。
もしこういった配慮がなければ、
度々皆様がご覧になる栃木県ドッグセンターのように
濡れた冷たくて固いコンクリート床に
死ぬまで置かれるだけの犬達だったに違いありません。
体を休めたくてもぬれた固い床の上だけ。
寒くても寒さをしのぐことさえできない環境・・・
彼はどうしてもその環境を見過ごすことができず、
個人的にできる限りのことをしていました。
「俺のところにいる間はせめて不自由させない」と。
でもこの件でさえ、上層部からは特別なことをするな!と
ことあるごとに注意されていたそうで、そのころから
俺は職場の厄介者だからと言っていたそうです。
彼は、私たちでさえなかなかできないくらいの
ぜいたくおやつなどをたくさん準備し、
動物たちのために自分のポケットマネーをはたく割には
自分は質素な生活で・・・
朝早くにセンターに行って、身寄りのない彼の
唯一の家族でもあるセンター犬の花子との時間を取って
お世話をしてから通常業務。お仕事が終わったら、
自分がお願いして助けてもらったわんこさんたちの
お散歩のボランティア。
帰りにスーパーやコンビニでおつまみを買って
ビールを飲む。
唯一の家族でもある
花子との時間を何よりも楽しみに大切にしていました。
二人でいるのを見ただけでも、
誰が見ても分かるくらいの特別な絆だったそうで・・・
小さないのちに寄り添い動物たちのためにと頑張り続け、
組織がいい方向になるようにと
働きかけを続けていた職員に対しての仕打ちが
彼から、やりがいや居場所を奪い、否定し、
身寄りのない彼の唯一の
家族を奪うことだったのです・・・
山崎さんは最後の電話の中で、
「中から変えようと思って頑張ってきた。
中から変える必要があると思っていた。
中に自分がいる意味があると思って頑張ってやってきた。
でもダメだった・・・もうダメだ・・・
俺は負けたんだ・・・
もう二度とセンターの門はくぐりたくもない。
あんなところ二度と行きたくない。」
と・・・
濡れ衣を着せられたことを怒りもしなかった山崎さん。
それよりも何よりも職場に対して常々持っていた疑問、
捨てられて収容された動物や、悲惨な現場に向き合わず、
情報が漏れたのではないかと犯人捜しをしたり、
動物たちのためにと何かやれば、
余計なことはするなと潰されていく職員たち・・・
俺は負けたんだと繰り返す中には、
職場のあり方にただただ絶望していることしか
伝わらなかったです・・・
職場を辞めるということは
唯一の家族でもある花子と別れるということ。
今までは、花子が生きている間は
ここで頑張ると言っていた山崎さん。
ついに心が折れた時でした・・・
居場所ややりがいを奪われて、自分を否定されて、
身寄りのない山崎さんにとって唯一の家族でもある
花子と離れて生きていけるわけがなかったのに
こちらもその時点で気が付くべきでした。
栃木県の動物行政の上層部はそのことを知った上で、
そして・・・
身寄りがないことをいいことに追い込んだのです。
身寄りがなければ、労災にもならず、おとがめなしです。
そして私たちに知らさなければ
彼を闇から闇へ葬ることができました。
山崎さんは自殺する直前の最後の電話で
遺言ともいうべきお願いをしました。
●山崎さんが家族同然だったお付き合いをしていた人
その動物たちを守るような配慮をすること
●上三川の虐待事件現場からレスキューされた犬たちで
自分がトレーニングしていた犬達が
殺処分されたりしないようにすること、譲渡先の確保
●これからもできる限り動物たちを助けてほしいこと。
●栃木県の動物行政は変わって行ってほしいこと。
いのちや現場に向き合ってほしいこと。
そして最後に一つだけ・・・。彼のわがままなお願い。
唯一の家族でもある花子のことをお願いしますと・・・
本当に最後の最後まで、自分のことより
小さないのちに寄り添う人でした。
センター犬でもある花子ちゃんは今14歳くらい。
花子が子犬のころから
山崎さんがハンドラーとしてついた犬だそうです。
身寄りのない彼にとって唯一の家族で、
花子のことをよく娘だと言っていました。
びびりな子で山崎さんをはじめとする
ごくわずかな人にしか心を許さないわんこさん。
私は花子のことお願いしますって言われても無理だよ、
会ったことがないし、びびりな子なのだから
山崎さんがいないとダメだよ、大体、山崎さんだって
花子がいないとダメでしょうって言ったら・・・
山崎さんは、穏やかにやさしく一言。「大丈夫だよ。
どこにいてもいつか虹の橋で会えるから・・・」
絶望の淵でも忘れることがなかった花子のこと。
でももう会えないとなったときの
「いつか会える」は彼のわずかな希望でした・・・
彼の引っ越しはいつも一時間で済む荷物だったそう。
ご自宅にはテレビとお布団だけが残っていたそうで
着替えやタオル歯ブラシなどの
日用品もなかったようで・・・
ごみに捨てたのでしょうか。
あちこちにご連絡をしてお別れのあいさつをしながら
大きなものだけを残し、部屋の後片付けをして、
車に乗って最後の場所へ向かった山崎さん。
きっと、家族同然だった人のおうちを通って、
いつも犬達とお散歩していたルートをたどってから
最後の場所へ向かったはずです。
最後の場所も私たちの知っている場所でした・・・
画像1枚目。
山崎さんが助けてほしいと言って
レスキューされた秋田犬とお世話をする山崎さん。
彼の人柄が伝わる素敵な笑顔です。
これを彼の本来の職場で見たかったです。
画像2枚目
山崎さんが助けるきっかけを作った秋田犬との
お散歩ボランティア風景。
とてもうれしそうな犬たち。
意気揚々とお散歩です。
画像3枚目
山崎さんが描いた素敵なスケッチ画。
実はとても絵を描くのが上手でした。
画像4枚目
彼がトレーニングしていた上三川の虐待事件で
レスキューされた犬と。
皆様、どうかよろしくお願い致します!
山崎さんのことを私たちは絶対に忘れない。
心からの感謝と共に
以上 全て栃木県動物保護ネットワークさんからの転載です