読レポ第407号 「脳科学×心理学」で 自己肯定感を高める方法。 著:弥永英晃 第1章 あなたはいつからでも 変われる!1-3 なぜ、自己肯定感が 低い子だったのか?
読レポ第407号「脳科学×心理学」で自己肯定感を高める方法。著:弥永英晃 第1章 あなたはいつからでも 変われる!1-3 なぜ、自己肯定感が低い子だったのか? 私(著者)は、自分に自信が持ってなかった。私(著者)の父は学歴至上主義で常に勉強を強制的に強いる厳格な父でした。彼にしてみれば「頭のいい子=価値ある人間」という信念を持っていました。それは、自分の親(私からみれば祖父母)から植え付けられて育ったからです。 そのために,その価値観をそのまま子どもの私に押しつけているのです。 父は高校の教員免許を持っていますが、教員にならず大手の建設会社に一級建築士として働いていました。建築関連の一級○○や一級□□、一級△△など国家資格を忙し合間を縫って夜遅くまで勉強して取得した努力家でした。だから、父にとっては頭のいいことが世の中にとってはもっとも大切なのです。テストの点数が99点あっても100点なければ、価値がないのです。なぜ同じ血を引いている自分の息子がこんなにできないことが理解できないのです。それが腹立たしくなって勉強ができないと頭をたたかれ、怒鳴れ、蹴らて、物を投げつけらたりされました。途中で母が止めるに入ってくれていました。何度も何度も大喧嘩の辛い環境だったのを思い出します。もちろん幸せときもあったのですが思いだすとその恐怖心に支配されてしまうのです。父としては、成績優秀な子どもでないと意味はないのです。次第に私の心の中では自分は頭がよくないからダメなんだ。勉強ができるべきなんだ―と言いう ”べき思考”が植えつけられました。 できない自分はバカなんだ。価値がないんだ。―と思い込みました。この「思い込み」が消えず鮮明に残ってます。うつの人は「白黒思考」といわれるのものがあります。黒と白の二択しかなくグレーという中間色はないのです。父も勉強のできる子かできない子しかないのです。父のために言っておきますが私(著者)のためにいい大学、いい就職先につけるようにそれが息子の幸せになると思いから時にはカッとなって手をだしたと思います。悪気はなっかたのです。愛情の表現でしたが不器用なっだけです。父はの親(私からみれば祖父母)から愛し方をそのまま息子に行っただけでしょう。悪気はなっかたのです。でも、小学生のころの私にはそのことが理解できないでその愛し方に私(著者)には、とても苦しかった。ただの恐怖だけでした。本当にこの人は父親なんだろか?父を恨んだときもありました。そんな環境から私(著者)は自分に自信がなく自己肯定感の低い子どもでした。 すごく生きづらかったし辛いことが多かったです。学校では、微塵もそのことは見せなかったですが家庭が辛い檻の中だったんです。人によっては、学校でのいじめなどが辛い思いをしている人もあったと思いますが。 確かに世代連鎖での価値観が引き継がれています。いまだに、昭和の価値観で見直されづに、いるのが現実です。時代はドンドン進んでいますが、著者の言っているようにいまだに、いい大学いくことでいい就職先へいく事が幸せなるなることの唯一の道である学歴至上主義の価値観がいまだに残っています。いまだに進学塾が流行っているのがその現われです。もちろん、少しは日本も進化しています。パワハラやセクハラの概念やLGBTへの理解も広がっていますがもちろん、悪意をもって価値観を親が押し付けている訳でありませんが子どもへの幸せを願ってのコトですが。でも、黒か白かの「白黒思考」での二択での価値観では、今は、その価値観ではその子の「こうなる生き方をしたい」の願いなど聞き入れてくれません。その子の人生は自分のモノになに親は様々な生き方を否定つづけて苦しませています。親自身は、自分価値観が絶対と思っています。。そこの、根底にはお金があったら幸せになるとの幻想をいまだに抱いてりるからです。もちろん、ある程度のお金があるコトは必用ですが、お金が目的の人生はつまらない人生になります。人生は、幸せてになるために生きていているのですから生き生きと、自分が望む生き方をするのが一番幸せだど思います。親の作った線路に乗せられたのでは自分が作った線路ではないのでただのロボット人間の人生になってしまいます。価値観は連鎖するコトが多いので常に親から受けた無意識の自分の価値観を疑うこと、再チェックすることです。いま、学校教育ではアクティブラーニングと言って主体的な学びとの掛け声があるが今の先生は受動的な環境で学んできたからなかなか、こびりついている子ども時代の受動的な学びからの価値観からぬけだせません。教師も主体的な学びの経験での学び直しで、昔のの受動的な学びを主体的な学びに書き換えることです。無意識の領域にしっかりと書き換えることです。私も同様ですが、無意識の領域を書き換えるため量稽古しています。なんと言っても「全肯定」「全承認」です。様々な意見を受容されるコトは、とても、いい気持ちになります。様々な生き方を受容することが多様性の社会になっていきます。受け手も「全肯定」「全承認」することで受け手もだんだんと相手の言葉の刺激で多様な考えや発想が生まれいくようになります。頭が柔らかになります。それには、相手の発言に最初からジャッジしないコトです。最初からジャッジするから否定の思考がうまれます。ジャッジしないで「全肯定」「全承認」をして行きましょう!