読レポ第667号 傾聴の基本 著:心理学博士 古宮 昇 発行:総合法令出版KK Ⅳ部 第3章:傾聴における 応答の方法 3-7形式的なテクニックは 傾聴の本質ではない
読レポ第667号 傾聴の基本著:心理学博士 古宮 昇発行:総合法令出版KK Ⅳ部 第3章:傾聴における応答の方法 3-7形式的なテクニックは傾聴の本質ではない ここまで傾聴における応答の方法について学んできました。 しかし、傾聴の本質は、適切な言葉で応答することではありません。 話し手が表現していることを、なるべく話し手の身になって、ひしひし、ありありと想像して感じることです。 対人支援者(福祉、医療、心理などを扱う支援者)を対象とする研修会で傾聴を教えると、 話し手が話したことを形式的にオウム返しする人がとても多いと感じます。 傾聴で大切なことは、話し手を尊重し、 話し手がわかってほしいことをなるべく話し手の身になって共感的に理解する人間関係であり、形式的なテクニックではありません。 例えば話し手が苦しい思いを語っているとき、 その苦しみを深く正確に理解することなく、話の内容を形式的に 繰り返したり要約して返したりすることは、傾聴にはなりません。 「それはたいへんですね」「悲しいですね」など、 いかにも、”共感的”な言葉を返したとしても、援助にならないのです。 例えば、悲しみや怒りをあらわして話す人の目の前にいたとします。 「この人は悲しいと言っている」「この人は怒っているんだ」などと単に表層的に考えたり、 形式的にオウム返しをしながら聞いているだけだと、話し手には何となくそれが伝わります。 すると、話し手は「自分の気持ちを本当にはわかってもらえない」と感じ、聴き手を信頼できなくなります。 正直な気持ちや思いを自由に話すことができず、対話は深まりません。 どこか形式的な、不自然な会話となってしまいます。 傾聴するときには、話し手の思いやわかってほしいことを、 話し手の身になって、ひしひし、ありありと想像して感じながら聴くことがとても重要です。 それができればいるほど、話し手は「自分のことがわかってもらえた」と感じ、 表現したい衝動がむくむくと湧いてきて、 正直な思いをさらに深く吟味しながら表現していくことができます。 傾聴カウンセリングの創始者は、米国の臨床心理学者であるカール・ロジャースです。 彼のカウンセリングについては、「話し手が語った言葉を繰り返すなどの技法を使うこと」と誤解されており、 彼自身もその事実を残念に思っていました。 そして、インタビューや著書のなかでこう語っています。 ーーーーーーーーーーー「(技法にこだわること)真に話し手といっしょにいるのではなく、機械的になってしまう」 「カウンセリング中に何を言うかは大切だが、 カウンセリング関係における聴き手のあり方のほうがずっと重要だ」 「(単に受け身的な聴き手では)話し手の多くが援助を得らず落胆することともに、 何も提供するものをもたないカウンセラーに対し、 非常に不愉快な気持ちでカウンセリング・ルームを後にするでしょう」Rogers,1951;p27;邦訳古宮ーーーーーーーーーーーーー 理解が足りないまま受け身的に聞いたりテクニックを使ったりしても、傾聴にはなりません。 傾聴とは、「内容の要約」「感情に反映」のどのテクニックを上手に使うことではないです。 テクニックはとても大切で欠かせないものではありますが、 決して、テクニックを上手に使うことが傾聴ではありません。 傾聴における共感とは、話し手が感情を感じているとき、 その感情をできるだけ「それは悲しいだろうなぁ」「それは腹が立つよなぁ」など、 話し手の身になって想像し、感じ、その感情を味わう、ということなのです。 と著者は述べています。確かに傾聴の本質は、形式的なテクニックではありません。 話し手が表現していることを、なるべく話し手の身になって、ひしひし、ありありと想像して味わい、感じることです。 ついつい、話し手を自分が援助しないとの気持ちの思いが前にでてしまい、 形式的なオウム返し的な表面的な応答になってしまいがちですが 傾聴は、話し手の感情をひしひし、ありありと想像して味わい、感じることが重要です。