読レポ第871号 改訂版アサーション・トレニンーグ さわやかな〈自己表現〉のために 2、アサーションとは、 b 攻撃的自己表現
読レポ第871号改訂版アサーション・トレニンーグさわやかな〈自己表現〉のために著:平木典子発行:㈱日本・精神技術研究所第一章アサーションとは2、アサーションとは、b 攻撃的自己表現〈攻撃的〉とは,自分の意思や考え、気持ちをはっきりということで、自分の言動の自由を守り、自分の人権のために自ら立ち上がって、自己主張してはいるのですが、相手の言い分や気持ちを無視、または軽視して、結果的に相手に自分の押しつけつける言動をいいます。 したがって、それは、相手の犠牲の上に立った自己表現・自己主張であり、自分の言い分は通じても、相手の気持ちを害したり、相手を見下したり、不必要に支配したりすることになります。 このような言動をしている人は、一見、表情豊かで、はきはきものを言っているように見えますが、相手を無視、あるいは軽視して自分のことだだけを主張していることになり、相手を踏みにじっていることになるます。その場の主導権を握りたいだけで、「自分が一番」とか「あなたはダメ」といった態度をとり、相手より優位に立とう、「勝ち負け」でものごとをきめようとする姿勢が見え隠れしています。 つまり攻撃的とは、たんに暴力的に相手を責めたり、大声で怒鳴ってたりするだけではなく、相手の気持ちや欲求を無視して、自分勝手な行動をとったり、巧妙に自分の要求相手に押しつけたり、相手を操作して自分の思いどおりに動かそうとしたりすることをいいます。もちろん、不当な非難、侮辱、皮肉、八つ当たりなども含まれます。また、雑談や何気ない会話をしているときの「だめ押し」や「ひと言多い発言」なども、自分の優位を示すための攻撃的主張となることがあります。また、年齢や役割が上の人(親・教師・上司など)、権威、権力がある人(専門家、男性など)が、その地位や力を意識的、無意識的に使って弱い立場にいる人に自分の意向を押しつける「パワハラ」や「セクハラ」は、攻撃的言動ということもまります。 このような言動をしている人は、堂々としているように見えるわりにはどこか防衛的で、必要以上に威張っていたり、強がっていたりして自分に不正直です。また、自分の意向は通っても、その強引さのために後味の悪いことが多く、それが自分の本音ではなかったことに気づき、後悔することになります。 また、攻撃的な対応をされた相手は、自分の意に反して服従された気持ちになり、軽く見られ、バカにされた気持ちが残るでしょう。その結果、傷つき、恐れて相手を敬遠し、同時に、怒りを感じて、復讐心を抱くかもしれません。 いずれにしても、お互いの関係は、相互尊重にはほど遠く、ギスギスしたものになりがちです。と著者は述べています。 確かに攻撃的な人は、,自分の意思や考え、気持ちをはっきりということで、自分の言動の自由を守り、自分の人権のために自ら立ち上がって、自己主張してはいるのですが、相手の言い分や気持ちを無視、または軽視して、結果的に相手に自分の意見や考えを押しつける言動をしています。 自分の正しさを相手に押しつけているだけです。 防衛本能の行き過ぎです。 私も昨年○○から、攻撃的な言動を浴びせられました。自分の正しさを罵詈雑言を吐き出して、攻撃的な言葉を言ってきます。その正しさの経緯を求めても、「自分は正しい」とだけ主張して、その経緯については一向に話してくれません。 ここで著者が言っているよ○○氏はギスギスした気持ちで、自分の気持ちが騒めいて、自分で自分の機嫌を悪くしています。 そんな攻撃的な言葉には、こちらまで攻撃的な反応をしてはなりません。火に油を注ぐことになります。その攻撃的な言葉を受容することです。そのためには、トレーニングが必要です。とくに親子関係では、かなりトレーニングが必要です。 また、攻撃的な自己表現の人は、何度も自分で自らの機嫌を悪くしていることをぶり返します。自分のご機嫌は自分がとることです。ご機嫌は、他者がとるのでありませんし、他者がとってくれないとダダをこねるようになるのは、お門違いです。 自分のご機嫌をとるには、アサーションを身に付けることだと思います。人生を幸せに生きるためには、アサーションを身に付けることです。