読レポ第1140号 言いにくいことが言えるようになる伝え方 ◎自分の中の「精神性」「論理性」を大切にする
読レポ第1140号言いにくいことが言えるようになる伝え方~自分も相手も大切にするアサーション~著:平井典子発行:㈱ディスカヴァー・トェエンティワン第5章「思い」を大切にするとは、自分に正直に生きること◎自分の中の「精神性」「論理性」を大切にする 人間は、「生物的・心理的・社会的」存在だと言われます。 人間は、生物としてだけではなく、心を持ち、人々と共に社会をつくって生きる。この3つの特性は、人間が他の動物とは異なった存在であることを意味します。 人類は、この独自性によって科学・技術の進歩、政治・経済の発展、情報・資源のグローバル化などを達成し、便利で快適、安全で安定した暮らしを確保しようとしてきました。 ところが、その努力と期待は、地球温暖化、終わりのない戦争、格差の拡大が続く社会などの出現でうらぎられつつあります。 21世紀に入って、カウセリングの分野では、人間はこの3つのほかに、「精神的」「倫理的」存在であることを強調するようになりました。 精神的とは、この世には人間の理解や能力を超えた「スピリチャル=霊的、神秘的」なことがあり、それは「万能の神」とも呼べる存在の技かもしれない、という感覚を持つことです。人間は身体的、物理的存在だけではなく、スピリチャルな面を持っている存在でもあるということです。 つまり、「人間が万能ではないことを素直に認め、不完全な存在であることを謙虚に受け止める姿勢」を精神性と考えることができるでしょう。 その意味で、神や宗教を信じる心を持っている人も、自分の限界を認め、思い上がることなく、自己をせいいっぱい生きようとする心のある人も、精神性を大切にしていると言えるでしょう。 倫理的とは、道徳的とも言われ、人と人との秩序ある関係が維持されている状態のことです。 社会の中で自他の尊厳を認め、「差別したりすることなく、フェアにいきたいと願う」姿勢でもあります。 実は、私たちの日常は「精神性」や「倫理性」で支えられています。 「お金にならなくてもやりたいことがある」 「自分らしく、やりがいのある仕事したい」 「それは不公平だ」 「それは人間としてやってはいけない」 こんな思いは、精神性や倫理性の表現でしょう。 やりたくないことを強いられたり、やりたいことががまんしたりすると、結果的に精神性や倫理性をないがしりにし、自他にとって意味ある生き方の中核が崩れていきます。 ここで、もう一度、これまで述べてきた人々のエピソードを思い出してみましょう。 残業をやめたい女性課長、課長昇進を断った男性社員、漫画家になった若者。彼らは、何を大切にしたか。精神性と倫理性を中核に自己選択をした人間として、しっかり生きていることがわかります。 彼らは「無難に生きる」のではなく、仕事に優劣をつけるでもなく、自分の中にある精神性と倫理性を大切し、自分の資源を生かして、「人間らしく生きる」決断をしています。と著者は述べています。 確かに、人間は、生物としてだけではなく、心を持ち、人々と共に社会をつくって生きる唯一の生き物です。その唯一の事を使って、これまで人間社会を科学・技術の進歩、政治・経済の発展、情報・資源のグローバル化などを達成し、便利で快適、安全で安定した暮らしを確保しようとして発展してきました。だが、それに伴い地球温暖化、終わりのない戦争、格差の拡大が続く社会なども生み出しています。 人間には、限界があることを素直に認めて、「人間が万能ではないことを素直に認め、不完全な存在であることを謙虚に受け止める姿勢」を考え、認識することです。 すべてが科学などで、解決も予想することはできないのです。今は科学信者が大半ですが、スピリチャルな不思議な事もあります。予想などできないこともあります。 人間は、完全に予測できないので、自分の人生を他者に持たれて支配されたり、諦めてしまったりしりして、、やりたくないことを強いられたり、やりたいことががまんしたりすると、結果的に自分らしい生きかたの人生にならないことがおおいです。 「無難に生きる」のではなく、仕事に優劣をつけるでもなく、自分の中にある精神性と倫理性を大切し、自分の資源を生かして、「人間らしく生きる」決断をしていきましょう。