読レポ第2011号 カール・ロジャーズ 「クライアント中心」という言葉の真の意味
読レポ第2011号カール・ロジャーズ~カウセリングの原点~著:諸富祥彦発行:㈱KADOKWA第5章 ロジャーズのカウセリング/心理療法 「クライアント中心」という言葉の真の意味 ロジャーズは言う。「クライアント中心(クライアントセンタード)という言葉は、しばしば誤解されてきました。多くの人は、クライアントセンタードという言葉を、クライアントに豊かな関心を向けているといった程度の意味で使っているのです。私たちは、もっと深い意味でこの言葉を使っていますした」(Rogers,2002) これは「クライアント中心」についての典型的な誤解である。クライアント中心療法の本質をまったくわかっていない。 筆者の周囲でも、ある温かみのある認知行動療法家をさして、「あの人は認知行動だけど、クライアントセンタードだから」などという言葉を耳にしたことがある。つまり、温かみがある、とか、雰囲気が受容的な感じである、とか、その程度のことをさして「あの人はクライアントセンタードだから」と言っていたのである。悪気なく言ったのであろうし、その認知行動療法のセラピストがダメなセラピストだ、というわけでもない。ただ、「クライアントセンタード」の本質が多くの臨床心理士、公認心理師にその程度にしか理解されていないことを思い知った次第である。 では、「クライアントセンタード」とは、何か。「クライアント中心療法」における「クライアント中心」とは、どのような意味か、ロジャーズは言う。 私たちは、もっと深い意味でこの言葉を使っていました。クライアントセンタードとは、クライアントの内側の内的なフレーム・オブ・レファランスを中心とする、という意味、もしくは、クライアントの内的な世界を中心とする、という意味で言っていたのです。どんな用語も、そのアプローチを完璧に定義することはできません。絶対にとり違えると思います。(Rogers & Russell,,2002) 「クライアント中心療法」における「クライアント中心」とは、「クライアントの内的な世界」「クライアントの内側の世界」を中心にする、という意味である。 セラピストは自分を消して、クライアントの内側の世界に完全に没入する。自分を消して、クライアントの内側、クライアントのフレーム(ものの見かた、感じ方、考え方の枠組み)の内側に入り込んで、そこを立ち位置として、内側からその人の住んでいるこころの世界を見る。感じる。味わう。ありありと想像して、その人そのものに、なりきる。こうした徹底度において、「クライアント中心療法」における「クライアント中心」という言葉は使われているのであり、そうでなければ一つの学派を名乗る資格はないだろう。 「クライアント中心」ということが先述した程度の意味(あの人は温かくて、受容的だ、ちいった程度の意味)では受け取られているのであるのであれば、それはすべてのセラピィの共通要素として解消された、などと思われても仕方ない。温かく受容的な人なんて、一般人にもゴロゴロいて、何の特別なトレーニングをしなくても、身につくものだからだ。今の日本で私たちが感じている、この学派の「誤解されている感」を40年のロジャーズもほぼ同じように感じていたのである。と著者は述べています。 確かに学派などの定義は、完全には定義は難しくて、著者のいうように誤解は出てくると思うし、受け取った人によっては、ズレがあると思う。基本的なコンセプトは伝わるだろうが、ズレはあると思うし。人それぞれに個性での、ズレはあると感じます。 直接あって学んでも、本で学んでも、ズレはあるものです。それは、人それぞれ経験や環境に違いがあるので、受け皿でズレは生じるものである。人それぞれ今は多様な時代があるからだと思う。それを肯定的に認識することもセラピストなどとしては大事な認識として持ってないといけないと思う。 ロジャーズの「クライアント中心主義」でのクライアントの内側の世界に完全に没入して、自分を消して、クライアントの内側、クライアントのフレーム(ものの見かた、感じ方、考え方の枠組み)の内側に入り込んで、そこを立ち位置として、内側からその人の住んでいるこころの世界を見る考えかたは、ロジャーズのクライアント中心主義のコンセプトしては、温かくて、受容的だという事と違いの認識が必要と思う。 上記が自分に出来ているかは、わからないが認識しなくてはならないと思う。そのためにも、クライアントのフレーム(ものの見かた、感じ方、考え方の枠組み)の内側に入り込んで、そこを立ち位置として、内側からその人の住んでいるこころの世界を見る考えの量稽古を積みかさねをしていかないとならないな。そのためにも自分のものの見方、感じ方、考え方を手放すまたは、湧いてきたものの見方、感じ方、考え方を横に置く習慣の量稽古かな。人は、他者の話を聴いていると、ついつい自分のものの見方、感じ方、考え方が湧いてくるものですから。