読レポ第2040 カール・ロジャーズ 二人の出合い(1/5)
読レポ第2040カール・ロジャーズ~カウセリングの原点~著:諸富祥彦発行:㈱KADOKWA第6章 1955年ロジャーズとジャンドリン 二人の出合い(1/5) この二人の出合いはどのようにして生まれたのか。そのあたりの詳細が記されているのか、初期ジェンドリンとフォーカシングの生成に至る過程について書かれた田中秀男の博士論文『フォーカシングの成立と実践の背景に関する研究:その創成期と体験過程理論をめぐって』(田中 2018)である。ここに記されたロジャーズとジェンドリンの物語は、下手な小説より面白い。本章の以下の内容は、田中論文と、ロジャーズの口述の伝記(Rogere & Russell,2002)の冒頭にジャンドリンが寄せてた「序文」(Gendlin,2002)に大きく基づいている。これがまた抜群に面白い。ロジャーズとジェンドリンとの二人の交流が、ジェンドリン自身の口から具体的なエピソードをもとに記されている。またロジャーズという人間がこの世界でなした仕事の「本質」を、私が知る限りどの文献よりもよくとらえている。つまるところ、ロジャーズという人間とその仕事の意義の本質を誰よりも深く理解していたのが、ジェンドリンであったということが、すごくよく伝わってくる文章である。ロジャーズ、ジャンドリンのみならず、カウンセリングや心理療法について、あるいは、人間の成長、進化ということについて考える際の最もすぐれた文章の一つであると思われる。 さて、二人の出会いである。田中の博士論文(田中 2018)をもとに解説しよう。 話はジェンドリンが哲学の大学院生として修士論文を書いていた1950年にさかのぼる。ジャンドリン24歳、ロジャーズ48歳の時の話である。 ジェンドリンはシカゴ大学の哲学の大学院生であった。修士論文は『ヴィルヘルム・ディルタイと精神科学における人間的有意味性の把握の問題』(Gendlin,1950)である。ドイツ系の哲学を少しかじったことのある方なら Erfahrung(エファーゴ) と Erleben(エリーブ),Erlebnis(エブリネス)の違い、という点に一度は関心を持たれたことがあるだろう。日本語では、前者は「経験」、後者は「体験」と訳し分けられている。 ヴィルヘルム・ディルタイは、一般に「生の哲学」の提唱者として著名であるが、ディルタイは、「生」に等しい語としてErlebenを用いていていた。ジャンドリンはディルタイのErleben、Erlebnisの区別に着目した。Erlebnisは「単位となった体験(a unit experience)」であるのに対して、Erlebenは「過程ないし機能(the process of function)」を示すのでexperienceとexperiencingうぃ修士論文で使い分けていた。 そしてここが重要なのであるが、この修士論文(Gendlin,1950)中で、ロジャーズの代表作の一つ『クライアント中心療法』(Rogers,1951)を、しかも刊行前に引用している。田中(2018)は「少なくとも、この時点でジャンドリンはシカゴ大学学内で公刊前のロジャーズの草稿を入手できる立場にあったことは確かな事実である」と指摘するにとどめているが、ロジャーズの草稿を刊行前に入手できるとなると、何らかの個人的な交流があった可能性は低くない。つまりロジャーズとジェンドリンの交流は、ジャンドリンがまだ修士論文を作成中の23歳、ロジャーズ47歳くらいの時にすでに始まっていたのかもしれないのである。 そしてまたも、筆者はの、しかし常識的な連想であるが、1950年提出の修士論文の執者は1949年におこなわれた可能性が高く、その時点で二人の交流があり、2年後に刊行される『クライアント中心療法』のキーコンセプトの一つである「visceral experiene(内臓感覚的体験)」という言葉も、ロジャーズがジャンドリンとの対話から着想を得て考案した可能性も否定したがいのである。このあたりはすでに二人とも亡くなった今、確認のしようもない。しかしジェンドリンが修士論文を書いている22、23歳の頃にロジャーズと出会い、多少なりとも親密になった際にロジャーズから『クライアント中心療法』の草稿を見せてもらい、会話を交わした可能性は十分にあるのである。 いずれにせよ、ジェンドリンがはその頃ロジャーズのもとを訪れている。「『概念を超えたころの経験とは何か』ということをもっと知りたかったのです。セラピィのなかではそれがいつもおこなわれているではないかと思いつきました」(ジェンドリン・伊藤 2002)『我々は体験[=経験]をどのように象徴化しているのか」といった自分の哲学の課題をはっきりと抱えてセンターを訪れたようである(田中 2018)。センターをはじめて訪れた時のことは、こう回想されている。 待合室に、センターのスタッフが書いたものが置いてあるのを見つけました。……クライアントのふりをして一冊借りて帰りました。読んでますます興味を持ちました。まさに人々は生き生きと体験を象徴化していたんです。(Gendlin & Lietaer,1983) 想像してみてほしい。修士論文を書いている最中か、書き終わったばかりの23,24歳のジャンドリンが、何だか気になって仕方がなくて、哲学の大学院生なのにカウンセリングセンターを訪れた。ここでは「なまの体験の象徴化」という自分の関心が実際におこなわれているかもしれない。そう思って「クライアントのふりをして」カウンセリングセンターにやってきた。そして、スタッフの一人が書いたものを持ち帰り、読んでみた。そして興奮した。「ここに私の関心事が実現している!」。読んでいるこちらのほうが、興奮を覚えるくらいの、興味深い場面である。「クライアントのふりをして」ジャンドリがカウンセリングセンターを訪れたことから、ジェンドリンとロジャーズの交流は始まったのだ。と著者は述べています。 ここでは、ロジャーズとジャンドリンの初めての出会いのエピソードが書かれている。ロジャーズの『クライアント中心療法』のキーコンセプトの一つである「visceral experiene(内臓感覚的体験)」という言葉も、ロジャーズがジャンドリンとの対話から着想を得て考案した可能性があると可能性があるようだ。 この若いジャンドリン24歳とロジャーズ48歳の対話の中から「visceral experiene(内臓感覚的体験)」という言葉が生まれた可能性は、私はあると思う。 私も話し合いのファシリテーターをしていて、異なる分野と異なる年齢との会話から対話へと話し合いをすると、参加者が思いもしないアイディアを生み出される現場に立ち会うこともあった。異なる視野を持っているので、お互いの発言を通じて、お互いが刺激されて、思っていなかったアイディアが生まれることもある。一人では、なかなかアイディアが浮かばないが。 アイディアマンは、本などや他の人との交流からの刺激で新しいアイディアが生まれると思う。本などの読書は、著者との対話みたいなものです。それに、読書は、主体的でなければ、著者との対話にはなりません。 アイディアは、受身的なことからは、生まれません。主体性がなければ、生まれないと私は思います。この本を読んでいるうちに私も多少なりとも著者との対話で刺激や知識をもらっています。この積み重ねが新しいものを生むと私は、信じています。 このロジャーズの「内臓感覚的体験」という言葉も、ロジャーズがジャンドリンとの対話から生み出されたと私は確信します。人にとって対話は重要です。