スポット探訪 京都・洛西 法金剛院 -2 庭園を巡る
もう今頃は枝垂桜(待賢門院桜)が花開いているころでしょう。蕾の状態の折に訪れましたので、逆に咲く花の艶やかさ、華やかさに目を奪われることなく、この法金剛院の庭、苑池そのものを静かにゆっくりと周遊しつつ、人影のない景色を眺めることができました。そのご紹介です。この景色は第1回の末尾に掲載した庭園全景の右側部分です。ここを起点にして反時計回りにこの庭園を巡ってみました。庭園は境内の東部になります。前回ご説明しましたが、久しく荒廃していた庭が1968年に発掘調査され、1970年に改修工事が行われて、平安時代の姿を甦らせたと言います。(資料1,2)待賢門院がこの法金剛院を創建するにあたり、この池を阿弥陀の浄土、極楽浄土になぞらえる形で造園させた「池泉廻遊式浄土庭園」です。 池の南端方向に歩み、池面を見ると鯉がこちらの方に進んできます。 経蔵の宝形造の白い漆喰壁を遠目で眺めつつ、池の南端を周り込みます。 池畔の散策路の南側には、巨木の幹が東方向に斜めに寝そべるような形で伸びています。 池の南辺から北方向の東寄りを眺めた全景です。池には中島が設けられていて、境内案合図には「鶴島」と表記されています。右側の石橋が2つの中島を結ぶ石橋の一つです。池の東南辺は州浜になっています。 振り返ってみた南西方向の池畔。この枝も今は花が咲き、池面にその姿を映じているかもしれません。この頃は白梅でしょうか。白い花が少しだけ咲いている枝が見えます。 池辺の東南寄りから西側を眺めると、左に唐破風の玄関があり、少し間を置いて、北側に「礼堂」が見えます。西側の池端に桜の木が点在しています。咲き誇ると綺麗でしょう。この庭は元来、清原夏野が自然の池をたくみに利用し、山荘内の苑池に採り入れたものがもとになっているようです。かつては現在のJR嵯峨野線の南側にも広がる敷地だったところです。待賢門院が寺を創建した折の池の広がりはどれほどだったのでしょうか。わかる術はありません。現在の庭園は境内地が減少したとはいえ、庭園部分が約2000㎡あるそうです。待賢門院は上記のとおり、この池を阿弥陀の浄土に例え、池の西辺に阿弥陀堂を建立し、池の東側に女院御所を設けたそうです。そして女院御所から西方浄土の阿弥陀を拝するように法金剛院の伽藍の配置をしたのです。(資料1,3)また、池の南には南御堂(九体阿弥陀堂)が建てられ、後には三重塔・東御堂・水閣も建てられたと言います。(資料3)このお寺の建物の北側に内山があり、それが「五位山」と称されています。それがこの寺の山号でもあります。清原夏野の山荘が後に「双丘寺」となります。「その頃、珍花奇花を植え、嵯峨、淳和、仁明の諸帝の行幸を仰いだ。殊に仁明天皇は内山に登られ、その景勝を愛でられ、五位の位を授けられたので、内山を五位山という」(資料2)そうです。 巨木の根元に落椿 池の向こう側には、樹木の背後に経蔵(右)と鐘楼(左)が見えます。 池の北辺を眺めた景色です。 中島の先端側を一部とらえた景色。礼堂の屋根が対岸に望めます。 中島は2つあり、異なる形の石橋で池端から池の中央に連なって延びています。池の東側を北に歩み、振り返った景色です。 対岸に玄関全体が見える位置まで東辺を歩んできました。 池の北辺から南を眺めた景色。北辺を周り込もうとしたときに、目に止まったのがこの掲示です。「吉海教授が語る 百人一首の世界」というもの。新聞紙面の寄稿文のようです。 その先に目を向けると、「待賢門院堀河の和歌」碑が建立されています。 ながからむ心もしらず 黒髪のみだれて今朝は物をこそ思へ「百人一首」の中にある一首です。待賢門院堀河は、崇徳院の母・待賢門院の女房を務めていた人で、歌人です。女房三十六歌仙のひとりに選ばれているそうです。神祇伯源顕仲の娘。歌の才能に恵まれ、いっぽう恋する女のひとりでもあったとか。当時、通い婚という風習がありました。男性は日が暮れてから訪れ、夜明けまでに帰ってしまうというあり方です。明日もまた訪ねてきてくれるかはわからない・・・・。吉海先生の監修本には、上記の歌意について「永く愛するというあなたの本心もわからずにお別れした今朝は、黒髪が寝乱れているように、私の心も乱れて、悩んでいることです」と説明されています。この一首の説明文の最後の段落は興味深いものです。引用します。「ところで、平安時代の貴族女性にとって黒髪はまさに命。黒く長いほど美しいとされたので、自分の身長以上に伸ばしていたという。百人一首の歌仙絵でも、床に裾ひくように流している黒髪がよく描かれているが、さぞ重かったことだろう。洗髪も1カ月に1回がようやくだったとか。そのためにこの時代、お香をたきしめ香りをつける文化が発達したのだという。待賢門院堀河がこの歌に詠んだご自慢の黒髪は、その後、仕えていた待賢門院を追いかけてともに仏門に入った折に、ばっさりと切られたという。そのとき、この歌に詠まれた夫とはどうなっていたんだろう。それは知るよしもないことなのだけれど。」と。(資料4) 歌碑の北から池を眺めた景色です。歌碑の前の通路を北に進みます。 そこは五位山の麓になるところに、石組が見えます。1970年に「埋没していたこの瀧の石組を掘り起し、滝水を引いて遣水をつくり、池にそそぐように改修された」(資料1)そうです。この瀧石組が「青女の滝」と称されているもので、法金剛院創建当初の唯一の遺構として、極めて重要だとか。この滝石組は待賢門院が当初仁和寺の石立僧林賢(いしだてそうりんけん)に命じて作らせたのです。当時その出来映えは絶賛されたのですが、滝の高さが思ったよりも低いということで、待賢門院の命により、竣工3年後の長承3年(1133)、仁和寺の僧侶・徳大寺法印静意がさらに五尺ほど増した高さに組み直したそうです。その結果、十三尺におよぶ壮大な滝石組となったのです。(資料1,2)当初、滝石組を賞賛された林賢は、 衣もてなづれどつきぬ石の上によろづよを経よ滝の白糸 と詠んだとか。滝の傍に歌碑を建てたとも言われています。この滝が永遠に残ることを祈願したのでしょう。(資料1,2)現在、この滝石組や池の周囲には、モミジやアカマツ、サクラ、ツバキ、アジサイ、センリョウなどが植えられています。また、池にはハナショウブやハスが植えられています。(資料2)もう少ししたら、「花の寺」の名前通りに、花の見ごろが順次移っていき、訪れる観光客が増えることでしょう。序でに、五位山について触れておきます。山頂は古墳になっていて、古くは「双ヶ丘東墳」と呼ばれ、江戸時代には文德天皇陵に擬せられたことがあったそうです。そして、この山の東北麓には「待賢門院陵」(鳥羽天皇中宮花園西陵)があり、そこから東へ100mのところに、「上西門院陵」(尊称皇后統子内親王東陵)が所在します。法金剛院と御陵の位置関係はこちらの地図(Mapion)をご覧ください。御陵名は記載がありませんが、図から寺と御陵の位置関係は解ります。余談ですが地図を見て、今宮神社が近いことを再認識しました。 歌碑の方から西方向、礼堂を眺めた景色 青女の滝前から通路沿いに西方向に歩み、振り返った景色。この景色の正面の球形に剪定された木の先に、歌碑が見えます。左の通路沿いに行けば、左方向(北側)に「青女の滝」の雄大な滝石組があります。 立ち止まったのは、ここに「仏足石」が置かれていたのです。 今頃はこの木も花が開いていることでしょう。 礼堂の前まで戻ってきました。池の西辺、冒頭の景色とリンクします。余談です。待賢門院堀河がこの寺との関係で詠んだ歌をご紹介します。(資料1) 崇徳院の御時、法金剛院に行幸ありて菊契千秋ということを 講ぜられ侍りけるに 雲の上の星かと見ゆる菊なれば空にぞ千代の秋はしらるる 続古今集・20・雑歌 待賢門院かくれさせ給ひて後、六月十日頃、法金剛院に参りたるに、 庭も梢も茂りあひて、かすかに人影もせざりければ、これに住みそめ させ給ひし事など、ただ今の心地して、哀れつきせぬに、日ぐらしの 声たえず聞えければ、 君恋ふる嘆きの繁き山里はただ蜩ぞともに鳴きける 玉葉集・17・雑歌四また、待賢門院と言えば、その美貌を深く思慕したという西行を思い出します。 なんとなく芹と聞くこそあはれなれ摘みけん人の心知られて 山家集・1033・中雑この歌に詠まれた「芹摘む人」とは后など高貴な女性にかなわぬ恋をすることを意味していたと言います。(資料2)西行の『山家集』には、次の歌も収録されています。(資料5) 十月のなかのころ、寶金剛院の紅葉見けるに、上西門院おはします由ききて、 待賢門院の御時思出でられて、兵衛殿の局にさしおかせける 紅葉みて君がたもとや時雨るらんむかしの秋の色をしたひて 山家集・797・中雑また、山家集のこの歌の2つ前には、次の歌も収録されています。 寄紅葉懐旧と云事を寶金剛院にて詠みける いにしへを恋ふる涙の色に似て袂に散るは紅葉なりけり 山家集・795・中雑恋の部に収録される次の西行の歌もまた、待賢院門院への思いに関係するのでしょうか・・・・・・。 おもかげの忘らるまじき別かな名残を人の月に留めて 山家集・621・中恋この後、いよいよ建物と仏像拝観です。つづく参照資料1) 『昭和京都名所圖會 洛西』 竹村俊則著 駸々堂 p93-1032) 法金剛院庭園 :「京都市都市緑化協会」3) 「法金剛院」拝観時にいただいたリーフレット4) 『こんなに面白かった「百人一首」』 吉海直人監修 PHP文庫5) 『山家集 金槐和歌集』 日本古典文学大系 岩波書店補遺浄土式庭園 :ウィキペディア浄土式庭園 :「Traditional Japanese Garden Styles」平安時代の庭 寝殿造りの庭から浄土式庭園へ :「Niwasora」浄土式庭園 宇治平等院鳳凰堂の秘密とその魅力:「英学の『おもしろい京都案内』」浄土庭園 :「毛越寺」円成寺 隠れ里に現れる、浄土式庭園 :「うましうるわし奈良」仏足石 :ウィキペディア仏足石 仏教豆百科 :「三井寺」仏足石 2005年4月 今月の法話 :「浄教寺」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)スポット探訪 京都・洛西 法金剛院 -1 山門・中門・玄関・庭園 へスポット探訪 京都・洛西 法金剛院 -3 礼堂・仏殿・経蔵と鬼瓦 へ