探訪&観照 京都・嵯峨天龍寺 -1 福田美術館への往路にて
昨日(3/27)、初めて福田美術館に行きました。利用したのはJR嵯峨野線、「嵯峨嵐山」駅です。冒頭の建物は嵯峨嵐山駅。駅前に居る多くの観光客を撮らずに駅舎を撮ろうとするとこうなりました。南口側です。京都駅から列車は大混雑。各国からの観光客と日本人観光客でもう一杯。久しぶりにすし詰め列車に乗車しました。梅小路京都西駅、二条駅で下車する人々がかなりいましたので、すぐに混雑具合は多少緩和しました。それでも、嵯峨嵐山で下車する人が多い! 主目的はこの美術展を鑑賞することと福田美術館自体の探訪。これが初めての機会なので美術館を見ること自体が一つの楽しみです。駅前の道を南に下り、右折して、まずは西方向に位置する天龍寺を目指します。 最初の十字路の右側、レンガ塀の側に道標が立っています。正面に大覚寺の文字が刻まれ、右側面には「日本最初の庭」という文字が判読できます。嵯峨大覚寺への道です。 その先に、地図で確認しますと、瀬戸川という幅の狭い川が南に流れていて、桂川に流入します。橋の手前に、小さな御堂があります。興味深いのは、正面に吊された提灯。右には「南無地蔵大菩薩」、左には「天道大日如来」と墨書されています。地蔵菩薩と大日如来の石仏が共に祀られているのです。併存というパターンを見かけた記憶がありません。 「竜門橋(歌詰橋)」と称するそうで、駒札が設置されています。 少し先には、道路を横断して嵐山高架橋が架かり、その傍に山門が見えます。門の左側には、「数珠掛け地蔵尊」の石標が立ち、門の右側前方にも「地蔵尊」と刻した石標があります。 門前から拝見すると、石造地蔵菩薩坐像が見えました。石標に刻された地蔵尊は多分本堂に祀ってあるのでしょう。 道沿いに進むと、もう一つ小堂が目に止まりました。こちらはお地蔵さまを祀った地蔵堂です。天龍寺前に出ると、もう道路は観光客でかなり混雑ぎみ!左折して、渡月橋まで向かいます。京都の繁華街での混雑度と大差ありません。 ここまで来ましたので、まずは久しぶりに渡月橋の北詰で、橋と川を眺めてみました。昨日の雨の影響でしょうか。川はかなりの水量です。 渡月橋の歩道は、嵐山の方(南)に渡る人々がほぼ途切れなく歩いています。西側の歩道も同様です。現在の渡月橋は、昭和9年(1934)5月に竣工した鉄桁鉄筋コンクリート製です。延長155m、幅員11m。嵐山の景観と調和するように欄干は木製です。(資料1)この木製欄干、2018年9月、台風21号の暴風により、約100mにわたり倒れてしまいました。急遽、復旧工事が行われ同年10月下旬には無事に元の景色を楽しめるようになったという経緯があります。(資料2,3) 渡月橋の北詰、東側にはこの石標が立っています。注意して見ている人はなさそうです。平安時代、琴の名手として知られた小督局(コゴウノツボネ、以下小督)は、高倉天皇(1161~1181)の寵愛を受けました。小督は藤原成範の娘。しかし、それは高倉天皇の中宮の父である平清盛(1118~1181)の逆鱗に触れます。小督は内裏から失踪し嵯峨野に隠れ住んだそうです。天皇は密かに源仲国に小督の捜索を命じました。仲国は小督の弾く琴の音を頼りに捜索します。そして、仲国は小督が弾く「想夫恋」をこの橋の近くで聞き、居所を尋ね当てたと言います。(資料4,5)さて、この渡月橋北詰で、右折して上流側の歩道を西に歩みます。 少し先に、見えるのはこの門です。「車折(クルマザキ)神社嵐山頓宮」と刻された石標が立っています。頓宮は別宮を意味します。石標の右側にその案内板が掲示してあります。門の手前にある橋には「琴きき橋」と刻されているようです。 門前から眺めた正面奥に小社が見えます。 一旦、川沿いの歩道に移り、川下を見ると渡月橋は人と車で溢れています。 上流側には堰(セキ)が見えます。嵐山の麓を流れるこの川は古くは「葛野川」と呼ばれていたそうです。秦氏がこの地を開拓し、川に堰を設けて水利の便を良くしたことから、「大堰川」の名が生じたと言われています。この川は、大悲山を水源とし、丹波国保津村(亀岡市)を経由して嵯峨に至る水系です。そこで、嵐山に至るまでを「保津川」と称し、嵐山に至って「大堰川」と呼ばれます。(資料1)インターネットでマピオンの地図を見ますと、渡月橋から下流側で「桂川」と表記されています。猶、行政上での表記は、「桂川」となっています。「淀川の支川である桂川はその源を丹波高原佐々里峠に発し、亀岡盆地、保津峡を抜け嵐山にて京都盆地へ流れ込み、京都府・大阪府境付近で宇治川、木津川と共に淀川へと合流する流域面積1,100km2、幹川流路延長114kmの一級河川です」(資料6)この堰のある辺り、川沿いの道路の北側には、北方向への道路があります。天龍寺門前の通りで渡月橋に通じる府道39号からは一筋西側になります。 この北への通りを入ると、左(西)側にこの一画があります。 ズームアップで五輪塔を撮ってみました。刻された文字があるようですが判別不可。 傍に「謡曲『小督(コゴウ)』の旧跡」という駒札が設置されています。この駒札の立つ旧跡の背景に見える建物が、めざす福田美術館でした。つづく参照資料1.『昭和京都名所圖會 4 洛西』 竹村俊則著 駸々堂 2. 渡月橋の欄干、京都市が被害状況を調査…部材再利用で修復へ :「産経新聞」3. 京都・嵐山の渡月橋欄干が復旧 台風で倒壊、紅葉シーズン迎え:「千葉日報」4.琴きき橋跡 :「フィールド・ミュージアム京都」5.琴きき橋に伝わる物語 :「京都・亀岡 保津川下り」6. 桂川 :「国土交通省」補遺「渡月橋」欄干が復旧しました! :「HOTEL BINARIO」台風で欄干が壊れた「嵐山渡月橋」:「ヒストリカル・シエア!」桂川(淀川水系) :ウィキペディア演目事典:小督(こごう) :「the能.com」管絃 平調「想夫恋」 Kangen Hyodyo Sofuren YouTube(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)探訪&観照 京都・嵯峨天龍寺 -2 福田美術館の建物 へ探訪&観照 京都・嵯峨天龍寺 -3 福田美術館「進撃の巨匠 竹内栖鳳と弟子たち」(1) へ探訪&観照 京都・嵯峨天龍寺 -4 福田美術館「進撃の巨匠 竹内栖鳳と弟子たち」(2) へ