探訪 宇治市 宇治発電所特別公開
「京の七夕 in Uji」という催事が8/2~8/4に行われました。その一環で、宇治発電所特別公開が組み込まれていました。このことを知り、8/4に宇治発電所を訪ねてみました。といっても、発電所の外観を眺めることができるというだけなのですが・・・・。 これは興聖寺の傍に設置された観光案内地図です。赤丸を追記したところが京阪電車宇治線の宇治駅です。宇治発電所は宇治川の右岸(東岸)にあり、黄色の丸を追記したところです。 普段は、宇治川右岸を歩いても、宇治発電所の放水路からの水流が宇治川に合流する場所に架かる「観流橋」の上から放水路が眺められるだけです。この還流橋は宇治川の上流側から撮りました。観流橋の南詰です。 観流橋の上から眺めた放水路。放水路は宇治川に合流する手前でこのようにプール状に広がっています。 普段は閉ざされた発電所の鉄製門扉から発電所の敷地内に入り、放水路沿いの通路を歩み始めた直後に撮った観流橋の眺めです。 この位置、角度から放水路を眺めるのは初めて。 放水路沿いの通路を発電所に向かいます。 赤レンガの外観の発電所が見えてきます。 発電所の銘板 発電所の外観 水力発電のタービンを回した後の水が、建物の下部から放水路に流れ込んできます。 放水路沿いに遡ってきた通路の突き当たりには変電設備が並んでいるようです。 発電所構内には、案内説明板が2ヶ所に設置してありました。 1つは「宇治発電所の概要」この宇治発電所は、明治41年(1908)に起工され、大正2年(1913)7月31日に発電を開始しました。水路式の発電所。その取水口は滋賀県大津市石山南郷1丁目。つまり琵琶湖から瀬田川に流れる水が取水されているということになります。大津市の南郷(瀬田川洗堰のやや上流に所在)からこの宇治市の宇治山田まで、水路となるトンネルが掘削されたのです。琵琶湖とここ宇治までの落差は70mあるそうです。案内板には「有効落差 61.85m」と明記されています。当初、この豊富な水量と水位差を利用しようと発電用水路の掘削出願が複数出て競願となったとか。協議の結果、一本化する形で「宇治川電気」を創立して、宇治発電所の工事が開始されたと言います。大津市南郷から宇治の仏徳山の麓のこの地まで、4年にわたって延長約11kmの水路掘削工事となったそうです。宇治川電気の工事関係者は最盛期で199人にのぼったとか。「できあがった水路トンネルは2.2万kwの発電を可能にした」そうです。(資料1,2)上掲の概要には、認可出力は最大32500kwと記されています。宇治川電気は、太平洋戦争以前には、五大電力の1つと称されていたようです。そして、戦後、1951年に、電力事業再編により関西電力が発足します。関西電力を構成する前身となった会社の1つだったのです。(資料2) もう1つは「水利使用標識」発電目的での水利使用権を許可しているのは国土交通大臣なのですね。知らなかった。水利使用者は関西電力株式会社。この宇治発電所の設備管理者は天ヶ瀬発電所長の管轄のようです。第1取水口の最大水量は毎秒61.22㎥と記されています。 観流橋の下を経て水流が宇治川に合流します。 天ケ瀬ダム以外で、常時はげしい白波が見られるのはこのスポットとだけ。 観流橋の南側からフェンス越しに放水路の上流が見えますが、発電所の建物は見えません。一度、建物を実見したかったのです。今回機会を得ました。 プール状の放水路域の南側にこの記念碑が建立されています。工事竣工記念碑です。今ではひっそりと木々に囲まれて佇んでいます。意識的に目を向ける人は多分少ないことでしょう。興聖寺がほんのすぐ南にありますので、たぶん観光客の皆さんの意識は観流橋から興聖寺の総門に向かっていることと思います。別稿として、宇治川右岸を次回点描でご紹介します。ご覧いただきありがとうございます。参照資料1) 宇治発電所の解説シート :「JSCE 土木学会 選奨土木遺産」2) 宇治川電気 :ウィキペディア補遺水力発電の概要 発電方法の種類 :「関西電力」水力発電所の分類 :「新エネルギー財団」旧関西配電区域に存在した電気供給事業者 :ウィキペディア電力事業再編 :「新電力ネット」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)