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ずぼらに半農生活

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ma2da705

ma2da705

2014.08.01
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カテゴリ:環境とか
前日に参加した立山カルデラにおいての砂防工事のブログの続きのようなもの。
安政の地震によりせき止められた真川と湯川の水により常願寺川に洪水の被害をおよぼしました。
特に2回目の洪水では、濁流が常願寺川西側の山室や新庄地区から城下町の柳町や西町そして水橋まで押し寄せる土石流となったそうです。
常願寺川といえば立山の標高2400m付近から海岸部までわずか56Kmという距離で流れる世界にも例がない日本屈指の急流河川です。

明治24年オランダ人技師のヨハネス・デ・レーケがその常願寺川の治水を目的に来県し幾度と度重なる堤防決壊の解決策として左岸にある12箇所の用水取水口をひとつにする計画を立て常西合口用水が明治26年に設けられました。

ヨハネス・デ・レーケといえば「これは川ではない、滝である」と言ったと伝えられていますがどうやらこれは誤訳らしい。
実は「とても急流だ」という意味を誤訳され、それ以降は常願寺川の凄さの表現としてよく引用されているのが実際のようです。
諸説ある誤訳については滝が流速を低減する効果があるため上流部の滝を見て「滝があって良かった」と言ったのが実際のところである、という説が有力といわれています。



そのヨハネス・デ・レーケの計画により、常願寺川大改修工事が行われ、常西合口用水が整備されました。
常願寺川は土砂の多い川のため水を引くための土砂対策は欠かせないといわれる。
明治32年に出水による土砂の流入が起こり機能がはたせず灌漑用水不足など甚大な被害があったそうだ。
そこから排砂施設の必要性が高まり、明治33年8月より工事に着工し12月に早くも竣工したそうである。
排砂水門は下流域の新庄地区に合口用水に流れ込む土砂をため神通川に流し、水だけを用水路に流すという新庄排砂水門を赤レンガ造で設け、治水や砂防・利水に機能しており平成5年の修理工事後も現役施設として「新庄の赤門」といわれ親しまれています。

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Last updated  2014.08.01 07:28:22
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