テーマ:ニュース(100198)
カテゴリ:ケータイ文化
最近になって、ケータイ小説について、多くの人たちがブログに書いています。だんだん骨太の分析がされるようになりとても読むのが楽しみになってきました。
たとえば、猪瀬さんの『ケータイ小説をなめてはいけない』 http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/inose/071211_20th/ 佐々木尚久さんの『ソーシャルメディアとしてのケータイ小説』 http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2007/12/20/entry_25003250/ 雑誌文学界では特集『ケータイ小説は文学を殺すか』 海部美知さんの『「銃乱射事件」と「ケータイ小説」の間』 http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20071221/1198270733 などなど。 ケータイ小説が話題になり始めた初期の頃、悪貨は良貨を駆逐するとのたとえのように、ケータイ小説が悪貨と例えられました。ケータイ小説はお話にならないくらいレベルの低いものであるという言説から、少しずつちゃんと分析されるようになり、しっかりと語られるようになったなあという気がしています。11月にはいって、映画「恋空」のヒットは映画界にも衝撃が走りました。どうやらケータイ小説が底に秘めている力を無視できない状況になってきたのかもしれません。しかし世の大人たちにとっては、この『恋空現象』は全く理解が出来ない現象だったわけですね。このケータイ小説や「恋空」の映画は都心よりも地方での売り上げが良いということで、「ケータイ小説の文化を支えるのが地方の子供たちの閉塞感」であるという見方がされています。確かに地方は娯楽が少なく、やることもなく、未来にも希望が持てず、閉塞感が充満していると考えられます。最近では地方発の凶悪犯罪がニュースをにぎわしているというアメリカや日本の状況は、なるほどとうなずくものがあります。しかしasomeが思うに、確かに日本の地方都市の子供たちには未来への希望が持てない状況なのかもしれないのですが、ただそのことを紛らわすためにケータイ小説を読んだり書いたりしているのではないと思うのです。地方都市と都会ではやはり地域格差があります。その地域で生まれたということは、現在の都会中心の文化の場合、東京で生まれた子供たちよりずっとハンディがあります。子供たちにとって、最もそのハンディを感じさせないのが、このインターネットの世界なのではないでしょうか。 インターネットにもともと国境はありません。地域差もありません。ある意味平等に人々に開かれた世界です。現在のCGMやUGCを支えるのは地方都市の子供たちという状況であるのは、そのことを考えると当たり前なのではないかと思います。娯楽がないということだけではなく、彼らにとってはもっともインターネットの世界は地域格差を感ずることなく活躍できる新しい可能性のある世界なのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.01.08 01:00:57
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