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京都店をOPENさせた。明日は静岡店をOPENさせる。正直私の体は限界に近く疲労が蓄積している。特に首周りは慢性的な疲労がこびりつき、昨日は念入りに首に集中して疲労回復効果の高いジェット水流をあてつづけた。同時にひたすら泥のように眠り続けた。この程度のことだが、まだ36歳の身。今日にはかなり回復している。
私がこのビジジネスを行ってからというもの、連日何人もの人間が何かを取引しようと私の携帯に電話をかけてくる。以前からお世話になっていたり、高い提案能力を持つ人物からの電話であれば時間も空けようというものだが、そういった連中の90%に、私は興味も用もない。分刻みで業務をこなし、次から次へとやるべくことが発生する我が身、社長という立場にいることも加え、忙しいという文字の如く、心を亡くしている状態が続いているのだ。本来ならもうこの時期にはセミリタイアを実現していたであろう。元もと私は社長などには向かぬ身であり、興味のひとかけらも無かった身である。運命のいたずらで、たった数ヶ月で15名の社員がいる会社になってしまった。この調子で行くと50名の社員にはなろうというものだし、100名になってもおかしくはない。少人数高収益、独創性の高い、オンリーワンビジネスを目指し、ひたすら実行していた私としては、大いにとまどうというもの。 しかし、人は流れていく。6ヶ月前の私と今の私では別人の環境にいる。ということは、また6ヶ月先にも環境が大きく変化している可能性もあるのだ。とにかく人生でバランスを取るということは非常に難しい。ビジネスとのバランスを取るためにも自分を解放する何かが必要である。趣味、酒、旅、女、車、釣り、ゴルフ・・。ほとんどの男は、こういった何がしかでバランスを取っていることであろう。私はやはり酒と旅であろうか。なぜなら自分自身を喪失させることができるからである。何者でもない自分になれることがいかに大切であるか。途中下車のない、人生の急行列車に気がつかぬまま乗せられている殆どの連中は気がついているのだろうか?私は知る由もない。また、何者かでいることにこだわる猛者、つまり成功した人間やビジネスエリート、凄腕の経営者などは、どんどん深みに嵌っていく。高級車に乗り、若い女と遊び、夜な夜なグルメ、私もこういった連中と同じような行動を取ったこともあるが、それほど面白いものでもなく、何よりも何者かでいることを維持しないと、それは手の平からあっさり滑り落ちて行く性質のものである。 彼らは、所有とこだわりの束縛から永遠に解放されないのだ。人は生れたとき、誰も何物でもなかったし、少年時代くらいまではそうであろう。その頃は精神的に全てがパーフェクトに近い状態であったのではあるまいか。人の苦悩は、何物かになろうとしたときから始まるのだと思う。リトルリーグでレギュラーになる。あの有名高校の学生になりたい。でも、あなたが何物になろうと、どれだけ地位や名誉、お金を手にしようと、生きる本質を魂で捉え、ニュートラルに生きるほうが本当は豊かじゃないのか、そういったことを日々考えつつ、理解し、私は何者かを演じている。私が何者かでいることを放棄したとき、あの人は偽物だった、嘘つきだ、裏切られたと、責任を放棄した、と思う人もいるのだろう。私の感性は、特にこの国では法に縛られ、世間に縛られ、モラルに縛られ、信用に縛られ、立場に縛られ、とても窮屈がっている。 いつの日か、何物でいることから開放され、魂の故郷に戻れる日を手にしたいと思う。あるニ人の偉人が言っていたが、運命は決まっている。しかし同時に自由であり、変更可能であると。最近何となくこの意味が分かりかけてきたような気がする。嘘のような話だが、自分の先を読むことができる、あるものもの入手することができた。ここでは明かすことはできないが、自分で見つけることができるはずである。 KEN NOZAKI お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.04.06 15:32:28
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