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穏やかな春を迎えた。日々の業務の忙殺される私は、世界でも稀に見る美しい花、桜をじっくり眺めることなく春の熟成を迎えてしまった。昨年のこの頃から、よくタイに出掛けた。知り合ったタイ人に、桜の写真が欲しいと言われて、写して持っていったことが、ついこの間のことのようだ。そのタイ人からは時々英文でメールをもらっていたが、私が忙しいとメールにことあるごとに書いていたら、知らぬうちにメールが来なくなってしまった。身から出た錆とはいえ寂しいものである。ゆったりと時間の流れる、かの国には忙しいという概念もないのだろう。忙しさの中で、私は一体何を得、何を失っているのだろう・・。大きな流れに自ら飲み込まれた私には、それを考える余裕もない。
幼い頃、私は春が好きだった。春になると、何かが起こる気がした、何かが変わる気がしたものだ。嬉々として、柔らかな日差しの照りつける近くの野山をかけずりまわった。つくしを採り、新しい友人との遊びに夢中になったものである。クラス替えになると、必ず決まって1人、2人は気になる女の子が現れたものである。そんな中の一人から、ほぼ全てのクラスの男の子や私が牛乳のキャップを集めているのを知って、ある日当然、「これ、あげるね」と、紙袋一杯の牛乳キャップをもらったことがある。クラス1の人気者の彼女がなぜ、私のためにコツコツと牛乳キャップを集めてくれたのだろう・・。小学6年のときに私は引越しをした。引越しの数日前、学年でも人気の高かった女の子から告白された。それは確か、春の日の雨の夕方であった。誰でも、春には淡い想い出があるというものだ。 この季節になると昔海辺の道をバイクで気持ちよく走っていたことを想いだす。毎年、私自身時間の流れは速まる一方である。今年も知らぬうちに夏を迎えるのだろう。 今年は全ての時間を仕事に捧げよう。所詮仕事、されど仕事である。年内に15店舗まで展開するつもりだ。来年には30店舗、その次の年には50店舗・・。 先日30日間の免停通知が来た。たまには違う時間の流れに身を置きたいと、朝から免停講習に出かけた。一方的に話を聞かされるのは辛いものがあったが、学生時代に戻ったようで不思議な気分である。この歳になると、そうそう誰かから指導を受けることもない。 自分と向き合い、プレッシャーと使命感の波の中に呑まれてはいても、ときどき必要になるのは、日常からトリップできる特別な時間を持つことである。夜な夜な飲みに行ったり、若い頃のように熱く夢を語るようなことでは、もはや我が魂を宥めることなどできないのだ。この春20年前からずっとやりたかった、あるスポーツを始めようと思う。 では、新幹線で移動に向かおう。 NOZAKI KEN お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.04.25 11:54:34
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