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軽い五月病か。つくづく人はアナログな生きモノだと思う。
社会がとてもシンプルだった太古の時代、人は自分のハート(心)の状態を素直に受入れ、自然と調和をして生きていたのだと思う。だが、高度化された現代社会では見えない世間やモラル、常識、責任、立場、そんなものに自ら縛られ、ハートの状態がどうであれ、その窮屈な枠組みに合わせて生きていかざるをえない。 こんな私でさえ、ときどきそんな罠に陥ってしまう。 とても窮屈であり、叫びたくなる。過去の話だが、小学6年生のとき転校した慣れぬ学校で、受け入られようと1週間程度いい子を演じたことがある。でも実は前の学校では子分を何人も従える横着者。そんなヤツを演じ続けることなどできなかった。ある日、家の近くの山に登り大声で叫んだ記憶がある。次の日から素の自分に戻ったのは言うまでもない。 従業員もそれなりにいる私だが、組織を持つこと、組織に縛られることほど避けたいことはなかった。運命のいたずらか、人は自分とは違うのだ。そこを折り合いながらビジネスを行ったり、人生を共有することが人間的な成長なのかも知れないが、人はもっと自由に生きれるんじゃないかと、今でも思っている。 ということで私が所属した外資系クレジット会社で若くして副部長にまで登りつめ、40台前半にして引退し、今は悠々自適と1体数十万円~数百万円のアンティーク人形の販売とカフェをのんびり経営している兄貴と慕う人の所に数年ぶりに油(ホット一息)を売りにいった。 「お前は相変わらず忙しそうだな」「バリバリやるのは30代までにしておけよ」 「俺はこの人形が月に数体売れたら何とか食えていけるよ」 悲しいかな、軽い五月病の私にはスポンジが水を吸収するようにハートに入ってくる。若い頃、お金さえ掴めば自由になれると信じて我武者羅に駆け抜けた。28歳頃からは月収も100万円を超え、ある時期は発生ベースで1流のプロ野球選手に近いときもあった。 高級クラブに散歩のように毎日顔を出し、服や小物も値段を気にせず気に入ったら買った。高級マンマンションにも住んだし、海外へもしょっちゅう出掛けた。よくTV番組でお金持ちやセレブの特集で、何億の豪邸に住み、車は高級車を何台も保有、高級料理を食べ、ブランド品の山に囲まれて生活している姿を見るたびに私は苦笑してしまう。 お金ではハッピーを手にできないことを知ったからだ。自分論ではあるが、本当のハッピーは、本質をいつも外すことなく、いつまでも瑞々しい感性を失うことなく生活できることである。 では今日はここまで。社長業に戻るとしよう。 KEN NOZAKI お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.05.13 11:39:43
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