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カテゴリ:子育て
自立を助ける子ども服 モンテッソーリ教育と言う言葉を初めて見かけたのは、 クライ・ムキさんのこの本でした。 「自分で何でもできるように親が工夫してやる」って イメージを持ちました。 一着この本から作った洋服を、次女は物すごく気に入って しょっちゅう着てました。 その後、図書館で下記の本を見つけ、 何の気なしに借りて、目からうろこが落ちた気がしました。 ママ、ひとりでするのを手伝ってね! ちゃんと勉強した訳ではないので 間違って解釈しているかも知れませんが、 「3歳ぐらいまでの子どもは秩序を大事にする」と 言うことが印象に残りました。 例えば、『母親の服を祖母が来ていたら怒る』 これは、わがままではなく、 秩序を乱された事への不満。 成長していく中で、このこだわりはすごく大事なことだと言うこと。 その頃2歳だった次女を見ていてまさにそうだと思いました。 長女と次女のコップが反対だと怒る。 お父さんの席に私が座ると怒る。 長女の服が間違って次女の引き出しに入っていると怒る。 階段は次女、私、長女の順で上り下りしないと嫌。 これに対して「そんなことぐらい良いやん!」と 言わず、次女の意向に添うようにしました。 一回決めたことはなるだけ変えない。 長女はもう3歳を超えていたので そういうこだわりはなくなっていたようです。 私が封じ込めてしまっていたのかも知れませんが(^^; この事で私は随分子育てが楽になったんじゃないかなぁと思います。 別にその次女のこだわりに逆らう理由もないし、 したがったところで不便でもないし、 かえって色々スムーズにいくわけですし。 後は、自分でできるように環境を整えてやること。 自分がだらしないので、なかなか全部は無理でしたけど、ね(^^; 洋服に関しては子供たちが自分でできるように、 全部居間において、低い引き出しに入れました。 あんまり服でもめたことはないですねぇ。 たまに聞きますよね、この服は嫌!ってもめて、 なかなか出かけられないってこと。 この時はモンテッソーリ教育については これぐらいだったのですが、 ここ数日、またモンテッソーリ教育の本を読んでいます。 子どもは遊びを通して成長するのではなく、 仕事を通じて成長する。 この時言う、お仕事は一般的に遊びって言われてるものです。 紐通しをするとか、 おもちゃを一定間隔で並べるとか、色別に並べるとか。 それを達成感を味わえるまで続けられることで成長できるんだそうです。 大人でもそうですよね? 趣味でも仕事でも「できた!」って達成感で、 一歩進めて、良い気持ちになれる。 だから、人思いやったりする余裕がでる。 遊びは虚構の中のもので、いつでもいい加減なところでも おしまいにする事ができるので成長できない。 なるほどねぇ... 自分で選んで、納得するまで仕事を仕上げることが大事。 大人の都合で勝手に止めさせない。 #筆者も理想だと言ってましたが、時間を区切ってやると、 時間内に納得できるようペース配分をしていく事も だんだんできるようになってくるそう。 何かを教えるときは、ちゃんとやり方を提示してやる事。 使い方を一回見せてやると、子どもはそれを手がかりにして どんどん吸収していく。 敏感期と言う生物学的な用語があるそうです。 モンテッソーリはこれを大事にする。 切ることに対する敏感期、色に対する敏感期。 これを見逃さず、切るなら切る事に集中させてあげる。 まだかみ砕けていないけど、そんな感じかな? そして、なにより、子どもを良く観察してやること。 何をしたいのか、どう手助けしてやればできるようになるのか。 敏感期を見逃さない事。 ただ、モンテッソーリ自身の著書を読もうとしたんですが、 キリスト教の思想が根っこにあるようで取っつきにくいです(^^; 精神世界なところもあるし。 突き詰めるとやっぱそこに行き着くのかしら... ざっと読んだ感想なので、 多いに間違っているところもあると思います(^^; 読み流していただけると幸いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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