~MIDI・ギタープログラミングの奥義(ラスト)~
☆この連載の最後に
さて、これまで15回に渡って
ギターのMIDIプログラムについて話を進めてきたが、
今回でひとまずの終了としたい。
ロックギターのプレイとして代表的なものをできるだけ紹介してきたが、
まだ他にも様々な奏法がある。
オクターブ、ボトルネック、ドリル、
ラン、ボリューム、トーン、スクラッチ等々...
プログラムもそれぞれ独特のものがある。
しかし、奏法そのものの原理が解れば、
プログラムの方法もおのずと見えてくる。
ギターに限らず全てに通ずる事であり、
そういった研鑽の積み重ねの中に、
抜きん出た作品は生まれてくるのだ。
私がこれまでに話してきたものは、あくまでも技術的な事であって、
これをすべて理解しマスターすれば、
ギターのMIDIプログラムが完成するというものでは決してない。
「安売りはしたくない」という理由で、
自分の手の内を他人に見せたがらないプログラマーがいる。
私が皆さんに見せたものは、私が持つノウハウのほんの一部に過ぎない。
この程度のものを御大層に「手の内」などとは思っていないし、
「持って行くならどうぞご自由に...」である。
しかしながら、よほどの興味を持ち、
尚且つしっかりとした技術と知識を備えた人でも、
私が15回に渡って解説した事を完璧に理解するのは無理だろう。
仮に理解できたとしても、それは技術的なノウハウを
MAXのレベル10まで習得したという意味に過ぎず、
完璧なギタープログラム全体から見れば1割程度の収穫にしかならない。
極める事の核心は、そんな処にはない。
残りの9割はいったい何なのか?
それは他でもない、「発想力」であり、「創造力」である。
自由自在にフレーズを組み立てることができなければ、
いくらプログラムのノウハウを知っていたところで、
宝の持ち腐れという他はない。
それを可能にするには、プログラムする以前に、
縦横無尽なギターフレーズ集を
自分の中の引き出しに収めておく必要がある。
コピーをするのとはワケが違う。
有るものを模写するのではなく、
無から有を産み出すところにプログラマーとしての真の価値がある。
それを手にする為に無数の音楽を聴き、
無数のコピーをし、無数の経験を踏む...
その蓄積の中に、
クリエイターとしての確固たる能力が培われていくのである。
時に、そういう極めて大事な土台作りを経ずして、
いきなりオリジナルに着手してブレイクするミュージシャンがいる。
それは結構な事かも知れないが、
そこから生まれてくる音楽やインストのプレイには、
実に薄っぺらでつまらないものが多い。
プログラマーとて同じだ。
感性を磨かずして作ったものには、何の説得力もない。
大事なことを忘れてはいけない。
直接楽器を手にすることはなくても、
良い音楽をたくさん聴くだけでも全然違う。
常にいろんな所にアンテナを立て、
できるだけ良質な情報をたくさん取り入れることで、
自分を内面から磨き上げていけるのだ。
クリエイターというのはモノを創造する人のことをいう。
それが出来ない人をクリエイターとはいわない。
「たかがDTM」とバカにする人間もよく居るが、
そんなのに限って、陳腐な能力しか持ち合わせていないものだ。
勘違いクリエイターというのもある。
DTMに携わっている中にも、プロアマに問わず解っていない人は多い。
たったひとつの楽器のプログラムですら突き詰めればこれ程深いのに、
ほんの上っ面をなぞっただけで
全てマスターしたと勘違いしているおめでたい人が、
プロの世界にも居るのは確かだ。
隠すほどの値打ちが何処にある。
そんな取るに足らない方法論は、ノシでも付けていくらでもくれてやれ。
頭デッカチになって、方法論・技術論にばかり気を取られているうちは、
プログラマー・プレイヤーに関わらず、大したモノには成れない。
技術が無用だと言っている訳ではない。
音楽を自由に創造する力が内面に備わっていて
初めて技術を最大限に活かす事ができるのであって、
その人にとって技術は自身を表現する
この上のない手段になるという意味である。
本当に大切なものは、教えることが不可能な場所にある。
発想力や創造力は、他人が横から口を出してどうこう出来るものではない。
それは、本人にしかさわれない聖域だからだ。
自らがそこを開拓し、
豊かな大地へと育む努力を継続させる以外に、
自分自身を解放する術はない。
技術の進歩は両刃の剣だ。
何でもすぐに手に入る世の中...
それは利便性を追求するあまりに、
あらゆる分野で人々から大切なものを奪って来た。
何でも簡単に叶う事が幸福なのではない。
ひとつの目的を達成しようとする時、
その道程に苦労が伴うほど人は磨かれて行くのだ。
60年代・70年代のロックギタリストが凄かったのは、
模範とする人も媒体も少なく、
ロック界がまだまだ未開の地であったからだ。
彼等は答えを自分で導き出すしかなかった...
でも、その分あらゆる可能性に溢れていただろうし、
苦労の末に得たものは、計り知れないほど大きかったと言える。
まさに、時代の要請に応えるかのように、
生まれるべくして生まれて来た天才達である。
(続きは下)
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