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あの日、前日に横浜から深夜バスに乗り込み、予定どおりに早朝の仙台についていた。
娘とふたりで、山形にいる息子のところに行くのに、少し、仙台観光をするつもりだった。時間を有意義につかうためもあり、そこで選んだのが、深夜バスだった。 山形と仙台というのは、東京と横浜のような距離感覚の場所で、高速バスを使えば1時間ほどで、移動が可能な近さだったのだ。山形に住み、仙台で働く方という方もいる。 とりあえず、夕方までの時間があったので、私たちは、名所の多い、杜の都、仙台の町を観光しようと考えていた。 荷物をコインロッカーにJR仙台駅のコインロッカーに預けた私たちは、24時間営業のマクドナルドに行き、モーニングコーヒーとハンバーグをつまんでいた。 そして、どこを観るか、案をねっていた。 青葉城のあたりを散策するのもいいし、松島のほうへ行き、遊覧船に乗るのもいいかなと思っていた。 町は少しずつ、明るくなり、人の数も増えていった。 荷物をコインロッカーに預けてしまったので、身軽だった。 町を歩き回るときは、いつもそのようにしていた。しかし、そのことが、そのあと仇となってくるとは、そのとき、気づかなかった。 荷物には、洗面道具や着替えだけでなく、地震に備えて、小型笛もつけていたのだ。 数時間後に起こるあの大地震のあと、仙台駅は壊滅状態になり、いっさい入ることも、近づくことさえできなくなるとは、そのとき、想像もしなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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