|
カテゴリ:カテゴリ未分類
鎌倉学をまとめている。
定期的に資料メモを紹介する。 大船の熊野神社の末社の金刀比羅社には崇徳上皇が祀られている。それは1625年(寛永2年)、甘糟時綱が字神明下にあったものを境内に移したと伝えられている。 その崇徳上皇について。 日本の三大怨霊のひとつ、「徳」のつく天皇は、怨霊封じの意味。 崇徳天皇は応仁の乱で敗れ、讃岐の地で悲惨な死に方。安徳天皇は平清盛の外孫で、8歳にして壇の浦に沈む。順徳天皇は承久の乱に敗れ、佐渡に流されたまま亡くなった。 諡号には、意味がある。諡号とは、天皇の徳を讃える贈り名である。「諡」の訓読み「おくりな」は「贈り名」を意味する。 また、淡海三船が、神武天皇(初代)から持統天皇(41代)、元明・元正天皇(43代・44代)までの天皇に、まとめて諡号をつけたと言われている。 日本で最初の女性天皇、推古天皇は、その当時は、推古天皇とは呼ばれてはいない。 この事実は、学校できちんと教えれていない。 徳のほか、「武」がつく天皇。「武」は「周書」などによると、「武力が強い」「乱を治める」「法で民を治める」などの意味。建国と東征神話の神武天皇、法に厳しかった武烈天皇、壬申の乱の勝者で飛鳥浄御原令を制定した天武天皇、大宝律令の文武天皇、藤原広嗣の乱を鎮圧して国分寺や東大寺で仏教国家を目指した聖武天皇、征夷大将軍をおいて東北征伐をして平安京に遷都した桓武天皇 「光」がつく天皇。「光」は「後漢書」によると、よく前行を継ぐ、という意味。わざわざ前行を継ぐと断っているのは、傍系から即位した天皇。光仁天皇は前任者(称徳天皇)と8親等の関係と完全に傍系。前任者(陽成天皇)の祖父の弟に当たる光孝天皇、前任者(後桜町天皇)から7親等離れている光格天皇。継体天皇は前任者(武烈天皇)と10親等、一番近い血縁の天皇(応神天皇)とも5親等と「ほぼ他人」で、わざわざ「継」の字が用いられている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|