ご無沙汰している間に、もう暦が4月へと変わってしまい
東京は桜が満開と、とても良い季節になりましたね。
実は今からちょうど1週間前、3月25日のことなのですが
私の父親が息を引き取り、この世を去ってしまいました。
3月29日に葬儀も無事に済ませる事が出来、気持ちも落ち着いてきたので
ようやくブログを書ける様になりました。
亡くなる2週間位前、夜中に急に呼吸の調子がおかしくなったので
病院へ連れて行ったら、肺に水が溜まっていると言われ即入院。
でも治療をしてもらい、肺から水が引いて暫くすると元気になってきて
「もうすぐ退院出来るね。」なんて先生から言われるほど回復し
私達も安心していました。
亡くなる当日も朝ご飯は普通に食べていたようそうです。
で、その日も母親が11:00時頃、介護のために病院へ通常通り行ったら
病室には父の姿がもう無く、治療室へ移されてしまっていたそうです。
その時には、もう既に心臓が停止状態だったそうで
母から連絡を受け、私達も急いで病院へ。
先生が心臓マッサージを懸命に施してくれたのですが
意識は戻らず、そのまま逝ってしまいました。
父には持病があったので、いつかはこの日が来るとは覚悟が出来ていたけれど
容態が急に変わってしまったので誰も死に目に立ち会えず
実にあっけない死でした。
父は、今の私とほぼ同じ年の42歳で慢性腎不全を患い
以来約30年、仕事をしながら人工透析を続けてきました。
そして4年前に脳梗塞で倒れてからは、半身不随となってしまい
ほとんど寝たきりのような状況でした。
父の享年は73歳なので、人生のおよそ半分は闘病生活だったことになるんですねぇ。
父が脳梗塞で倒れ、入院して落ち着いた頃に面会へ行った時
「もう歩くことが出来ないだろう。」と医師から宣告され
父が「何でこんな目ばかりに遭わなきゃいけないのか。」と
号泣していたのが、今でもとても印象に残っています。
だから「父の人生、幸せだったのかなぁ…?」なんて
病院のベッドで、まるで寝ているかのように横たわっている父の顔を眺めながら
ふと思ったりもしましたが
身動きが不自由になってしまった後の4年間は
母がそれこそ付きっきりで父の介護を一生懸命にしていたので
そんな母がそばにいてくれた父は幸せ者だったと思います。
亡くなる際も苦しむことがなく
ようやく闘病から開放されてホッとしているのかもしれません。
父に対しては悪いことも良いことも、本当にいろいろな思いがありますが
『今までホントにありがとう。』
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ここまで読んでいただき、ありがとうございます。m(_ _)m
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